1850年アメリカ合衆国国勢調査の概要 人口・奴隷数・出生地と世帯情報の初導入
1850年のアメリカ合衆国国勢調査は、アメリカ合衆国における7回目の国勢調査である。1850年6月1日に完了した。その結果、アメリカ合衆国の人口は23,191,876人であることが判明した。これは1840年の国勢調査から35.9パーセントの増加である。この人口には3,204,313人の奴隷が含まれていた。
この国勢調査は、女性、子供、奴隷を含むすべての世帯員についての情報を集めようとした最初の国勢調査であった。また、出生地を問うた最初の国勢調査でもある。
ヒントン・ローワン・ヘルパーは、政治的に悪名高い著書『南部の差し迫った危機』の中で、1850年の国勢調査の結果を利用した。
調査の特徴と新しい収集項目
- 1850年国勢調査は、自由民について個々の世帯員の名前を記載した最初の国勢調査であり、系譜学(家系調査)にとって重要な資料となった。
- 記録された主な項目には、氏名、年齢、性別、人種(色)、職業、財産(不動産の価値)、出生地(州または外国)、婚姻状況に関する簡易な情報などが含まれる。さらに、読み書きのできるかどうかや、聴覚・視覚・精神の障害、救貧あるいは犯罪者であるかといった項目も設けられた。
- 出生地が初めて系統的に収集されたことで、移民の出身国や地域分布(当時はアイルランドやドイツからの移民が多かったことなど)を分析できるようになった。
奴隷に関する記録の扱い
自由民の個人名と異なり、奴隷については別の帳票(いわゆる「奴隷記録」)で年齢・性別・色・出身州などを記載する方式がとられ、原則として奴隷個人の氏名は記載されなかった。このため、奴隷に関する国勢調査記録は、名前を手がかりにした系譜研究では限界があるが、人口規模や年齢構成、地域ごとの奴隷人口比率を把握する上で重要な資料となっている。
補助的な記録と範囲の制約
1850年の実務上の国勢調査は、本調査のほかに死亡(mortality)や農業・製造業などに関する補助的な調査票も含み、当時の経済活動や公衆衛生の状況を知る手がかりを提供した。一方で、先住民(インディアン)や部族領域に居住する人々の多くは完全には網羅されておらず、地域や集落による未計上・過小計上が存在する。
歴史的意義と利用例
- この国勢調査の詳細データは、人口増加・都市化・西部への拡大・移民の流入といった19世紀中頃の米国社会の変化を定量的に示す重要な根拠となった。
- 経済学者・歴史学者・系譜研究者は1850年の記録を頻繁に利用する。特に出生地の項目は、州別や都市別の外国生まれ人口の分布を分析するうえで不可欠である。
- 政治的には、ヒントン・ローワン・ヘルパーのように1850年の統計を用いて南北間の経済的差異や奴隷制の影響を論じた論者がおり、その議論は当時大きな波紋を呼んだ。ヘルパーの主張は南部で強く反発され、当該書は一部地域で禁書扱いになったことでも知られる。
史料としての保存と利用上の注意
1850年国勢調査の原本や写しは国立公文書館(NARA)をはじめ各種アーカイブに保存され、多くがデジタル化されて公開されている。ただし、記録の読み取りミス、記入者による表記の揺れ、当時の調査対象外・未調査の集団などを考慮して解析する必要がある。特に奴隷記録は個人名が欠落するため、系図研究では他史料と照合することが重要である。
1850年の国勢調査は、米国の社会構造や人口動態を知るうえで転換点となった調査であり、近代的な統計的分析の基盤を築いた史料として今日も広く参照されている。