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マルクス・アエミリウス・アエミリアヌス(アエミリアヌス)―253年のローマ皇帝

ローマの軍人で、253年に短期間皇帝となった人物。ドナウ川国境での勝利後に軍隊から皇帝に推戴され、3世紀の危機のさなか約88日間統治した後、殺害された。

概要

マルクス・アエミリウス・アエミリアヌスは、一般にアエミリアヌス(紀元207年頃~253年)として知られる、253年にごく短期間ローマ皇帝となったローマの軍事指揮官である。彼の即位は、軍団がしばしば指揮官を皇帝として推戴し、支配者の交代が急速に繰り返された3世紀半ばの政治的・軍事的不安定を示している。

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出自と軍歴

伝記的な詳細は限られており、確実でない点もある。アエミリアヌスは一般にドナウ川流域の属州と関係づけられ、ローマがゴート人その他の北方集団から圧力を受けていたドナウ川国境で指揮官を務めた。同時代および後代の史料では、有能な野戦指揮官として描かれており、その勝利によって兵士たちの忠誠を得て、軍隊から皇帝として歓呼をもって推戴されたとされる。

権力への上昇

国境地帯で侵入者に対して戦果を収めた後、アエミリアヌスの軍勢は彼を皇帝と宣言した。彼はイタリアへ進軍し、在位中の皇帝トレボニアヌス・ガルスとその子ウォルシアヌスに対峙した。ガルスとウォルシアヌスは敗北し、のちに自軍の兵士によって殺害されたため、アエミリアヌスが帝位を掌握する道が開かれた。

短い統治と死

アエミリアヌスの統治は約88日間にすぎなかった。その継承は、ライン川方面の軍隊から皇帝として推戴された有力な将軍プブリウス・リキニウス・ウァレリアヌス(ウァレリアヌス)を支持する勢力によって、直ちに挑戦を受けた。進軍してくる対抗者と、自軍兵士の忠誠が続くかどうかへの疑念に直面したアエミリアヌスは、なおイタリアにいた間に兵士たちによって殺害された。

証拠と歴史史料

アエミリアヌスの短い治世に関する証拠は、彼の肖像と称号を刻んだ現存貨幣、および古代末期の歴史家による記述に由来する。貨幣と記録された出来事の順序は、歴史家が3世紀の危機のこの段階を特徴づける急速な権力移行を再構成するうえで役立っている。

後世への位置づけ

アエミリアヌスには永続的な政策を実行する時間はほとんどなかったが、その興亡は、この時代の不安定さを象徴している。すなわち、軍隊による推戴の決定的役割、国境沿いの地域的な権力基盤、そして対抗する将軍に対する皇帝の脆弱性である。彼の死は、ウァレリアヌスがより広範な権威を確保する道を開き、その結果はその後の帝国指導体制の展開を形づくった。

主要事項

  • 推定生没年:紀元207年頃~253年。
  • 治世:253年に皇帝を称し、約88日間統治した。
  • 経歴:ドナウ川国境、モエシアと周辺属州の軍人・指揮官。
  • 最期:ウァレリアヌス支持軍が進軍するなか、自軍の兵士に暗殺された。

関連項目

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AlegsaOnline.com マルクス・アエミリウス・アエミリアヌス(アエミリアヌス)―253年のローマ皇帝

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