ブライアント・リーブスBryant Reeves、1973年6月8日生まれ)は、アメリカの引退したプロバスケットボール選手。通称「ビッグカントリー」は、オクラホマ州の小さな町、オクラホマ州ガンズ(Gans)で育ち、大学時代のチームメイトであるバイロン・ヒューストンから付けられたニックネームです。長身で体格に恵まれたインサイドプレーヤーとして知られ、特にリバウンドや得点力を期待されてNBA入りしました。

大学時代

リーブズはオクラホマ州立大学(Oklahoma State University)スティルウォーター校のカウボーイズで大学バスケットボールをプレーしました。大学ではチームの中心選手として活躍し、1995年にはカウボーイズをNCAAトーナメントのファイナルフォーに導く原動力となりました。最終学年(シニア)には1試合平均21.5点を記録するなど、安定した得点力で注目を集めました。

NBAドラフトとバンクーバー・グリズリーズでの活躍

1996年のNBAドラフトでバンクーバー・グリズリーズに全体6位で指名され、チームの初期を支える期待の若手として迎えられました。グリズリーズ在籍中の6シーズンにわたり、ルーキーイヤーは1試合平均13.3得点を記録し、翌1997年には1試合平均16.2得点を記録するなど着実に成長しました。

1997年7月8日、リーブズは6年契約、総額6,180万ドル(6年6,180万ドル)の延長契約を結び、フランチャイズの顔として重責を託されました。キャリアベストのシーズンは1997–98年で、1試合平均16.3得点、7.9リバウンド、1.08ブロックをマーク。特にボストン・セルティックス戦ではキャリアハイの41得点を記録し、インサイドを支配する力を見せました。

怪我と成績の低下、引退

1998年以降、リーブスは体重管理の問題と慢性的な怪我に悩まされ始め、生産性が次第に落ちていきました。出場時間やフィールドゴール成功率の低下が顕著になり、チームはそれでもスターティングセンターとして起用を続けましたが、パフォーマンスの回復は難しくなっていきました。2001年にグリズリーズがメンフィスへ移転した際には、継続する背中の痛みのためにシーズン開始時点で負傷者リスト入りし、メンフィスでのプレシーズンゲーム2試合を最後に公式戦出場が叶いませんでした。

最終的にリーブズは2002年1月29日に現役引退を発表しました。プロキャリアは怪我により短く終わったものの、当時のフランチャイズを支えた第一人者であったことは色あせません。

引退後の生活

引退後、リーブスは出身地のオクラホマ州ガンズに戻り、郊外で大規模な牧畜場を経営しています。家族とともに静かな生活を送り、妻と3人の子どもたちと暮らしていると報じられています。現地コミュニティとの関わりや私生活を重視するライフスタイルを選び、バスケットボール界からは一線を置いた形で生活しています。