ジェマル・ギュルセル――トルコの陸軍将校・大統領(1960年~1966年)
ジェマル・ギュルセル(1895年~1966年)は、1960年のクーデターを主導し、トルコ第4代大統領を務めた陸軍将校である。新憲法への移行と文民統治への復帰を監督した。
概要
ジェマル・ギュルセルは、1960年のトルコにおける軍事介入後、政治の中心人物となったトルコ陸軍の高級将校である。オスマン帝国末期の1895年10月13日に生まれ、軍内で昇進を重ねた後、1960年5月の出来事を経て国家の最高職に就いた。1960年から、1966年に死去する少し前までトルコ共和国第4代大統領を務めた。その在任期は、軍政から憲法に基づく文民政府へと復帰する過程を導いた時代として記憶されている。
画像ギャラリー
5 画像軍歴と台頭
ギュルセルは職業軍人であり、トルコの多くの指導層が軍歴を有していた時代に、オスマン帝国および共和国初期の軍隊で勤務した。20世紀半ばまでには、将校団内部で尊敬される職業軍人とみなされていた。1960年5月に若手・高級将校の一団がクーデターを実行すると、ギュルセルはクーデターの計画者とトルコ社会のより幅広い層の双方に受け入れられる、結束のための上級指導者として浮上し、新たな統治機関で主導的役割を担った。
1960年のクーデターと大統領職
1960年の介入後、ギュルセルは一時的に国を統治した軍主導の国家統一委員会を率いた。続いてトルコ議会の承認を受けて大統領となり、元政府関係者の裁判、政治的自由をめぐる議論、新憲法の起草を含む激動の時期を主宰した。在任中に公布された1961年憲法は、行政権力の均衡、立法府による監視の強化、および一定の市民的自由の保護を意図した複数の制度改革を定めた。
政策、意義、主な事項
ギュルセルの役割は、主として安定化を図ることにあった。彼は秩序の回復を目指す一方で、選挙で選ばれた文民政府への復帰を可能にしようとした。論者は、彼の大統領職が軍事的権威の要素と、政治移行に対する実際的な姿勢とを併せ持っていたと指摘する。彼は、憲法上の危機の時期に国家元首となった職業軍人の、トルコにおけるよく知られた事例の一人である。
健康悪化、辞任と死去
在任後半、ギュルセルの健康状態は悪化した。1966年に死去する数か月前に辞任し、同年9月14日、脳卒中後の合併症により、70歳でアンカラにて死去した。彼の死は、軍がトルコ政治で目立った役割を果たした一時代の終わりを示すものとなり、その遺産は今日も、トルコの文民・軍関係および憲法改正に関する研究において論じられている。
主要な出来事
- 1895年10月13日、オスマン帝国末期に出生。
- 1960年5月のクーデター後に台頭した高級陸軍将校。
- 1960年から1966年までトルコ共和国第4代大統領を務めた。
- 1961年憲法への移行と、文民統治への復帰に向けた過程を監督した。
- 1966年9月14日、脳卒中の合併症により死去。
関連項目
著者
AlegsaOnline.com ジェマル・ギュルセル――トルコの陸軍将校・大統領(1960年~1966年) Leandro Alegsa
URL: https://ja.alegsaonline.com/art/116135
出典
- byegm.gov.tr : "Transport of Cemal Gürsel's body to the State Cemetery"