Charles Juste François Victurnien, de Beauvau, Prince of Craon(1793年〜1864年)は、ナポレオン3世期に軍人・政治家として活動したフランスの貴族・上院議員である。著名なボーヴォー家(Beauvau 家)の一員で、家中ではしばしば「ボーヴォーの王子(Prince de Beauvau)」とも呼ばれた。本来の法的称号は「クラオンの王子(Prince of Craon)」であり、父の死去に伴い1849年にそれらの称号を継承した。
生い立ち
シャルルは1793年3月7日、イングランドのバークシャー州サニングヒル(バークシャー)で生まれた。父はマルク・エティエンヌ(Marc Étienne de Beauvau)、母はナタリー・ド・ロシュシュアルト(Nathalie de Rochechouart)で、両親はフランス革命の混乱を避けて一時イギリスへ亡命していた。革命後、家族はやがて本国の情勢が安定するとともにフランスへ戻った。
軍歴
若年期のシャルルは軍事の道を選び、1810年にナポレオン戦争中のフランス軍に入隊したとされる。1812年の対ロシア遠征(いわゆるロシア戦役)では、カラビニエ(重騎兵)もしくは同種の騎兵部隊の将校として従軍した記録が残っている。ナポレオン戦争の激動を経験した後、ヨーロッパの政局が変わる中で貴族としての身分と軍事経験を背景に公的活動へ移行していった。
政治活動と上院議員として
シャルルは政治的にはボナパルト家に友好的な立場を取り、ボナパルト派(ボナパルティスト)の一員として知られていた。1849年に父よりクラオン公の称号を継承した後、帝政期の政治舞台にも参加するようになり、やがてナポレオン3世の治世下で上院(Sénat)に加わっている。1850年代以降は上院議員として、貴族的な視点から軍事・地方行政・慈善活動などに関与した。
家族と私生活
シャルルは生涯に二度結婚し、合計で4人の子供をもうけた。その中には次代の当主となる継承者も含まれており、ボーヴォー家の家系は継続された。ボーヴォー家は歴史の長いロレーヌ地方の旧貴族で、ホーエンツォレルン帝国や神聖ローマ帝国時代に由来する高位の領主的身分と称号を有していたため、「クラオンの王子」という称号も外部的な由来を持つものだった。
評伝的評価と晩年
シャルルは軍人としての経験と家系に根ざした社会的立場を活かし、第二帝政期の政治・行政において一定の影響力を保った人物と評価される。保守的で貴族的な価値観を持ちながらも、ナポレオン3世体制の下で公務を果たしたことから、19世紀フランスにおける旧来貴族と近代官僚体制の接点を体現する存在でもあった。1864年に死去した。
(注)本記事は公開された史料に基づき概略をまとめたものであり、細部の出来事年表や役職名などは史料によって表現が異なる場合があります。

