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スウェーデン女王クリスティナ――女王、学者、芸術の後援者

女王クリスティナ(1626~1689年)は1632年から1654年までスウェーデンを統治し、退位後にカトリックへ改宗。ローマで学問と芸術の著名な後援者となった。

概要

クリスティナ(1626年12月18日生、旧暦では12月8日)は、父グスタフ2世アドルフの死後、幼少のうちからスウェーデン女王となり、1654年に予想外の退位をするまで統治した。スウェーデン語名はKristina av Sverigeと表記されることが多い。結婚と伝統的な女性の役割を拒んだこと、知的関心の深さ、そして王位を去った後に信仰と居住地を変えたことで記憶されている。

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生い立ちと治世

父が戦死した時、クリスティナは6歳で君主となった。未成年の間、政府は摂政と顧問、とりわけ政治家アクセル・オクセンシェルナによって運営された。女王は成年に達して全権を引き受けると政務を自ら掌握したが、その趣味と決断は、言語、哲学、芸術を重視する卓越した教育によってしばしば形づくられた。史料は、彼女が古典文学と近代の学術を丹念に研究したことを伝えている。

関心、後援と知的生活

クリスティナは学者、芸術家、音楽家を集めた宮廷を育み、同時代人が人文学と呼んだ分野を研究した。多くの当代の知識人を招き、文通を重ね、宮廷を学問の中心にしようとした。特に名高い出来事の一つが、ストックホルムへ招いた哲学者ルネ・デカルトとの関わりである。デカルトは1650年、同地で没した。彼女の後援は、ヨーロッパ各地における音楽、演劇、科学的探究の促進に寄与した。

退位、改宗とローマでの生活

1654年、クリスティナは従弟カール10世グスタフにスウェーデン王位を譲って退位し、ヨーロッパを驚かせた。権力を離れた直後、彼女はローマ・カトリックに改宗した。この決断により、プロテスタントのスウェーデン国外に居住する必要があった。各地を広く旅したのち、最終的にローマに定住し、そこで有力な文化人となった。美術品と書籍を収集し、教皇庁とイタリアの芸術家たちに関わった。

遺産と主な事実

クリスティナは、自発的に退位した数少ないヨーロッパ君主の一人としてしばしば語られる。その生涯は政治的責任、強い知的好奇心、非慣習的な個人的選択を結び付けた。彼女は著名な図書館と美術コレクションを築き、幅広い書簡のやり取りを続けた。ローマに埋葬されたことは、最終的な帰属を示す永続的な証しである。名前と日付については旧暦の日付である旧暦12月8日を、統治領についてはスウェーデンを参照。

基本情報

  • 出生:1626年、死去:1689年。
  • スウェーデン女王としての在位:1632~1654年。
  • 人文学と芸術の著名な後援者。
  • デカルトを含む有力な思想家を宮廷に招いた。

その生涯は、ジェンダーと統治、宗派の時代における宗教的改宗、芸術と学問を形づくる王室後援の役割という問題に関わるため、近世ヨーロッパの歴史家による研究対象であり続けている。クリスティナの選択は、死後も長く響き続ける政治的、文化的、象徴的な影響をもたらした。

関連項目

著者

AlegsaOnline.com スウェーデン女王クリスティナ――女王、学者、芸術の後援者

URL: https://ja.alegsaonline.com/art/116434

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