コジモ3世(デ・メディチ、1642–1723)—トスカーナ最後の大公と50年の治世
コジモ3世(デ・メディチ)—トスカーナ最後の大公。50年におよぶ治世、厳格な規制法と悪化する財政、王朝交代までの栄光と衰亡を読み解く。
コジモ3世・デ・メディチ(1642年8月14日~1723年10月31日)は、トスカーナ大公の最後の一人で、1670年から1723年まで在位した。トスカーナ大公フェルディナンド2世の長男として生まれ、在位50年に及ぶ治世はトスカーナ史上で最も長い部類に入る。コジモの統治は、宗教的・道徳的規律を強める一連の規制法と、増え続ける官僚制や検閲の強化によって特徴づけられる一方で、トスカーナの財政と経済は徐々に悪化した。1723年にコジモが亡くなると、彼の息子であるジャン・ガストーネ・デ・メディチが後を継いだ。
治世の方向性と政治
コジモ3世は敬虔で保守的な性格で、公的道徳や宗教的秩序の維持を優先した。公共の道徳規制や娯楽・出版物に対する検閲を強化し、売春・賭博・夜遊びなどに対する取り締まりを行った。こうした政策は社会の秩序を重視する一方で、都市生活や商業活動には抑制的に働き、市民生活や文化活動に一定の萎縮をもたらした。
財政と経済の状況
在位期を通じてトスカーナの財政は厳しく、歳出を賄うために租税の引き上げや官職の売却などが行われた。かつてメディチ家が担っていた金融・商業面での優位は薄れ、工業・商業の停滞や農村の疲弊が進行した。これにより公共事業や王室の財政的余力も制限され、長期的には国家の地位低下につながった。
私生活と結婚
コジモはフランス王家と関係の深い家柄と婚姻関係を結んだ。彼は、ルイ14世の従兄弟であるマルグリット・ルイーズ・ドルレアンと結婚したが、この結婚は非常に不和であった。マルグリット・ルイーズはトスカーナでの生活に馴染めず、やがてトスカーナを離れ、最終的にはパリのモンマルトル修道院に居を構えることになった。二人の間には3人の子供が生まれたが、家族関係は冷え切っていた。
子女と相続問題
- 子の一人であるジャン・ガストーネ・デ・メディチが1723年に父を継いで大公となった。
- 娘のアンナ・マリア・ルイザ(Anna Maria Luisa)は文化財の保護に尽力し、のちにメディチ家の美術コレクションをトスカーナに留めるための「家族協定(Patto di Famiglia)」を結ぶことで知られる。
後年、コジモはアンナ・マリア・ルイザを事実上の相続人として地元内外に認めさせようと試みたが、ヨーロッパ列強、とくに神聖ローマ皇帝であるシャルル6世らの承認は得られなかった。国際政治の力学により、メディチ家の直系男性が断絶した後のトスカーナの帰属は、外部の合意によって決定されることになった。
文化的側面と遺産
コジモ3世自身は華美な文化事業の熱心な後援者ではなかったが、メディチ家が築いた美術コレクションや建築遺産は引き続きトスカーナに蓄積されていた。娘アンナ・マリア・ルイザの尽力により、最終的にメディチの芸術財産をフィレンツェにとどめる法的措置がとられ、これが今日の美術館群形成につながった。
死後と王朝の終焉
コジモ3世の死後、息子のジャン・ガストーネが1723年から1737年まで在位した。ジャン・ガストーネの死によってメディチ家の直系は断絶し、トスカーナは1737年にロレーヌ家へ継承されることになった。これは当時の大国間の外交調整(特にポーランド継承戦争やその帰結に関する条約)によって決められたもので、地域の主権と王朝交替がヨーロッパの勢力均衡の産物であったことを示している。
総じて、コジモ3世の長期支配は道徳・宗教の秩序を重視する統治方針と、深刻化する財政問題という両面を併せ持ち、トスカーナの近代史における転換期を象徴するものだった。彼の時代に生じた制度的・経済的変化は、その後の王朝交代と地域の再編に影響を与えた。
問題
コジモ3世は、フランスのアンリ4世の孫娘であるマルグリット・ルイーズ・ドルレアンとの間に3人の子供をもうけた。
- フェルディナンド・デ・メディチ(トスカーナ大公)(b.1663 d.1713
- アンナ・マリア・ルイザ・デ・メディチ、選帝侯パラティーナ(1667年生まれ、1743年没)
- トスカーナ大公ジャン・ガストーネ・デ・メディチ(b.1671 d.1737)
- 1642年8月14日~1670年5月23日:トスカーナ大公殿下
- 1670年5月23日~1691年2月5日:トスカーナ大公殿下
- 1691年2月5日~1723年10月31日:トスカーナの最も穏やかな大公殿下
コジモ3世の公式スタイルは「神の恩寵により、トスカーナ大公コジモ3世」であった。
質問と回答
Q: コジモ3世デ・メディチとは誰ですか?
A: コジモ3世デ・メディチは1670年から1723年まで在位したトスカーナ大公。
Q: コジモ3世は誰の息子ですか?
A: コジモ3世はトスカーナ大公フェルディナンド2世の長男です。
Q: コジモ3世の在位期間は?
A: コジモ3世デ・メディチの治世は50年で、トスカーナ史上最長でした。
Q: コジモ3世の治世の特徴は何ですか?
A: コジモ3世メディチの治世の特徴は、一連の規制法でした。
Q: コジモ3世メディチの治世のトスカーナの財政はどうでしたか?
A: トスカーナの財政は、コジモ3世デ・メディチの治世にさらに悪化しました。
Q: コジモ3世が1723年に亡くなった時、後を継いだのは誰ですか?
A: 長男のジャン・ガストーネ・デ・メディチが1723年に亡くなりました。
Q: コジモ3世は誰とどのように結婚したのですか?
A: コジモ3世はルイ14世のいとこであるマルグリット・ルイーズ・ドルレアンと結婚しましたが、結婚生活はうまくいかず、彼女はトスカーナを離れてパリのモンマルトル修道院に残りました。二人の間には3人の子供がいました。
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