ブラジルの王子、ジョゼ

ポルトガル皇太子ホセ(Infante José of Portugal, Prince of Brazil, Duke of Braganza、1761年8月20日 - 1788年9月11日)は、ポルトガル女王マリア1世とポルトガル王ペドロ3世の長子として、1788年に亡くなるまでポルトガル王国の後継者であった。ベイラの王子でもあったが、ブラジルの王子としてよく知られている。

ジョゼは天然痘で27歳の若さで亡くなったため、準備不足の弟インファンテ・ジョアンが跡継ぎとなり、最終的に国王となった。ジョアンの治世は、ナポレオンがポルトガルに侵攻し、ポルトガル帝国最大で最も豊かな植民地であったブラジルを失うという激動の時代となる。



幼少期

ホセは、現在リスボンのアジュダ宮殿が建っているレアル・バラカで生まれた。名前は、当時ポルトガル国王であった祖父の名前にちなんでつけられた。祖父は彼を「ベイラ公」と名づけたが、これは男子に与えられた初めての称号であった。

出生時の両親はブラジル皇太子夫妻で、母親は国王の推定相続人であった。



結婚

1777年2月21日、30歳の叔母であるポルトガル王女インファンタ・ベネディタと結婚した。ホセは15歳であった。ベネディタは魅力的な女性で、ホセの妻の最有力候補だった。この結婚は、ジョゼ国王の大願であった。

二人には子供がいなかった。ベネディタは1781年と1786年の2回流産している。結婚式の3日後、ホセの祖父でありベネディータの父でもある旧国王ホセが亡くなり、ホセの母が王妃として継承されることになった。インファンティ・ホセは、ブラジル皇太子とブラガンザ14世公爵の称号を与えられ、新たな皇太子となった。



死と遺産

ホセは天然痘で27歳の若さでこの世を去った。ホセの死後、弟のインファンテ・ジョンが王位継承者となり、新たにブラジルの王子となった。ホセはリスボンのアジュダ王宮で死去した。彼の母親と妻は、彼の死によって非常に大きな影響を受けた。妻は1829年に亡くなるまで「ブラジル皇太子妃」として知られることになる。

 



埋葬

ホセは、ブラガンザ家のほとんどのメンバーが眠るリスボンのブラガンザ家王宮パンテオンに埋葬されている。



称号・スタイル・栄誉

タイトルとスタイル

  • 1761年8月20日 - 1777年2月24日 ベイラ公爵、バルセロス公爵殿下。
  • 1777年2月24日 - 1788年9月11日 ブラガンザ公爵ブラジル皇太子殿下。



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