ポルトガルのマリア1世
マリア1世(英語: Mary I)(1734年12月17日 - 1816年3月20日)は、ポルトガル、ブラジル、アルガルヴェスの女王である。ポルトガルでは敬虔なマリア、ブラジルでは狂気のマリアとして知られ、ポルトガル初の正統な女王であった。彼女の宮廷は、当時ポルトガルの植民地であったブラジルに移り、長男で嫡男のドン・ジョアン(摂政公)が指揮を執るようになった。その後、ブラジルは植民地から王国に格上げされることになる。これが、ポルトガル・ブラジル・アルガルヴェス連合王国の成立につながった。
生い立ち
マリアはリスボンのリベイラ王宮で生まれた。その日、祖父であるジョアン5世は彼女をベイラ王女に任命した。4人兄弟の長女である。
1750年に父親がホセ1世として王位を継承すると、マリアはその後継者となり、ブラジル王女とブラガンザ公爵夫人という伝統的な称号を授かった。また、彼女は生まれながらにしてポルトガルのインファンタであったため、王女としての称号を得ることができた。彼女は、ポンバル侯爵が支配的だった時代に育った。
結婚
1760年、マリアは父ホセ1世の弟である叔父のペドロと結婚し、6人の子供をもうけたが、そのうちの長男が1816年にマリアの死後、ジョアン6世として継承した。
タイトルとスタイル
- 1734年12月17日 - 1750年7月31日 ベイラ公爵夫人、バルセロス公爵夫人
- 1750年7月31日 - 1777年2月24日 ブラガンザ公爵夫人ブラジル王女殿下
- 1777年2月24日 - 1815年12月16日 ポルトガルおよびアルガルヴェスの女王陛下の最忠実な陛下
- 1815年12月16日 - 1816年3月20日 ポルトガル、ブラジル、アルガルヴェス連合王国の女王陛下の至聖なる御姿