マリア1世(1734–1816):ポルトガル初の正統女王、ブラジル遷都と『狂気のマリア』

ポルトガル初の正統女王マリア1世の生涯とブラジル遷都、王国昇格と「狂気のマリア」伝説を詳述する歴史解説。

著者: Leandro Alegsa

マリア1世(英語: Mary I)(1734年12月17日 - 1816年3月20日)は、ポルトガルブラジル、アルガルヴェスの女王である。ポルトガルでは敬虔なマリア(Maria a Piedosa)、ブラジルでは「狂気のマリア」(A Louca)として知られ、歴史上重要な転換期の君主だった。彼女の宮廷は、ナポレオン戦争の危機に伴い当時ポルトガルの植民地であったブラジルに移り、長男で嫡男のドン・ジョアン(後のジョアン6世、摂政)が政治を主導するようになった。その後、ブラジルは植民地から王国に格上げされ、ポルトガル・ブラジル・アルガルヴェス連合王国(United Kingdom of Portugal, Brazil and the Algarves)が成立した(1815年)。

生い立ちと結婚

マリアは1734年に王ジョゼ1世と王妃マリアナ・ヴィクトリア(スペイン出身)の娘として生まれた。1760年に、王家内の政治的計算から叔父にあたるインファンテ・ペドロ(後のペドロ3世)と結婚し、夫との間に複数の子女をもうけた。長男ドン・ジョアン(後のジョアン6世)は、後に摂政となり王政の実務を担った。

即位と政治

1777年に父ジョゼ1世が死去すると、マリアは王位を継承して女王となった。即位直後、長年強い影響力を持っていた首相マーキス・デ・ポンバル(Sebastião José de Carvalho e Melo)の権力を排し、彼が進めた世俗的・中央集権的な改革の一部を覆した。敬虔なカトリック信仰と保守的な性格から、教会や旧貴族の影響力を回復させる政策をとった。

精神の衰えと摂政体制

治世中盤以降、マリアは精神的な健康を著しく損ない、晩年は公務を行えない状態となった。夫ペドロ3世の死や家族にかかる不幸が重なり、うつや妄想などの症状が現れたと伝えられている。公的には息子ドン・ジョアンが摂政として国政を代行し、以後の重要な決断は主に摂政の手に委ねられることになった。

ブラジル遷都と連合王国の成立

1807年、ナポレオン率いるフランス軍の侵攻が差し迫ると、ポルトガル王室はリスボンを離れ、摂政ドン・ジョアンの指揮の下で王室と政府機関をブラジルのリオデジャネイロへ移転した(1807–1808年の遷都)。マリアは形式上の君主として滞在し続けたが、実権は摂政が握っていた。1815年にブラジルを王国として格上げし、ポルトガル・ブラジル・アルガルヴェス連合王国が成立。これはブラジルの位置づけと行政体系に大きな転換をもたらした。

死去と評価

マリア1世は1816年3月20日にリオデジャネイロで死去した。遺された王位は摂政を務めていた息子ドン・ジョアンが継承し、ジョアン6世として即位した。歴史的評価は二面性があり、国内では敬虔さと王権への忠誠を重んじた統治者として記憶される一方、晩年の精神疾患とそれに伴う政局の変化、そして王室のブラジル遷都がもたらした長期的影響(ブラジルの独立運動への影響を含む)によって複雑な評価を受けている。

遺産

  • 行政的・社会的には、ポンバル時代の急進的改革の一部が見直され、教会や旧貴族の役割が復活した。
  • ブラジルへの王室移転と1815年の連合王国成立は、ブラジルの政治的地位を大きく変え、後の独立過程に影響を与えた。
  • 文化的側面では、その敬虔さと「狂気」の物語が多くの文学・演劇・史伝で取り上げられている。

マリア1世は単なる個人の物語を超え、18世紀末から19世紀初頭にかけてのポルトガルとブラジルの歴史的転換を象徴する存在である。

生い立ち

マリアはリスボンのリベイラ王宮で生まれた。その日、祖父であるジョアン5世は彼女をベイラ王女に任命した。4人兄弟の長女である。

1750年に父親がホセ1世として王位を継承すると、マリアはその後継者となり、ブラジル王女とブラガンザ公爵夫人という伝統的な称号を授かった。また、彼女は生まれながらにしてポルトガルのインファンタであったため、王女としての称号を得ることができた。彼女は、ポンバル侯爵が支配的だった時代に育った。

結婚

1760年、マリアは父ホセ1世の弟である叔父のペドロと結婚し、6人の子供をもうけたが、そのうちの長男が1816年にマリアの死後、ジョアン6世として継承した。

タイトルとスタイル

  • 1734年12月17日 - 1750年7月31日 ベイラ公爵夫人、バルセロス公爵夫人
  • 1750年7月31日 - 1777年2月24日 ブラガンザ公爵夫人ブラジル王女殿下
  • 1777年2月24日 - 1815年12月16日 ポルトガルおよびアルガルヴェスの女王陛下の最忠実な陛下
  • 1815年12月16日 - 1816年3月20日 ポルトガル、ブラジル、アルガルヴェス連合王国の女王陛下の至聖なる御姿




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