ルイス・キャス:人民主権を唱えた米国の軍人・政治家(1782–1866)

ルイス・キャス(1782–1866):米軍人・政治家、ミシガン上院議員で1848年民主党大統領候補。人民主権を提唱し奴隷制論争を左右した影響力ある政治家。

著者: Leandro Alegsa

ルイス・キャス(1782年10月9日 - 1866年6月17日)は、アメリカの軍人、政治家、外交官である。ミシガン州代表として上院議員を務めた。アンドリュー・ジャクソンとジェームズ・ブキャナンという2人のアメリカ大統領の側近であった。また、1848年の民主党大統領候補にも選ばれた。彼は、人民主権(Popular Sovereignty)という考え方の主要な提唱者の一人であり、この考え方は、新しい領土での奴隷制を認めるかどうかをその領土の住民自身が決めるべきだとするものであった。

経歴の概略

キャスは若い頃に軍に入り、1812年戦争では将軍として北西部の戦域で活動した。その後、1813年から1831年までミシガン準州の総督(Governor)を務め、現地の先住民との条約交渉や入植促進を通じて同地の基盤づくりに関わった。1831年から1836年には第7代陸軍長官(Secretary of War)としてアンドリュー・ジャクソン政権で要職を務め、その後1836年から1842年には駐フランス公使を務めた。

帰国後は政界での活動を続け、1845年にミシガン選出の上院議員となる。1848年の大統領選では民主党の候補に指名されたが、同年の選挙ではウィッグ党のザカリー・テイラーに敗れた。1848年選挙では、奴隷制問題を巡る分裂から、民主党内から離反した勢力が第三党(フリーソイル党)を支持し、結果的に票が分散したことが勝敗に影響した。

人民主権(Popular Sovereignty)と政治思想

キャスは、新たに組織される領土における奴隷制の問題は連邦政府が一方的に決めるべきではなく、現地の住民(入植者)が自ら決定すべきだと主張した。この「人民主権」は当時の妥協案として広まったが、実際には奴隷制容認か否かをめぐる全国的な対立を解消するには至らなかった。北部の廃止主義者からは「奴隷制容認への道を開く」として強く批判され、一方で南部からも完全な保障を求める声があり、両側からの攻撃に晒された。

晩年と評価

1857年から1860年にはジェームズ・ブキャナンという政権下で国務長官(Secretary of State)を務めた。南北戦争前夜の政治的混乱の中で、キャスは一貫して合衆国の存続を重視したが、奴隷制問題に関する中道的立場は両極からの非難を受けることになった。

今日、キャスは人民主権を唱えた政治家として歴史に記憶される。支持者からは妥協と地方自治を重んじた現実主義者として評価される一方、批判者からは奴隷制問題に対する曖昧な態度が結果的に対立を深めたとして評価が分かれる。ミシガン州をはじめ全米各地に彼の名を冠した地名や記念が残されている。

主な公職(抜粋)

  • ミシガン準州総督(Governor of Michigan Territory) 1813–1831
  • 陸軍長官(Secretary of War) 1831–1836
  • 駐フランス公使(U.S. Minister to France) 1836–1842
  • 上院議員(U.S. Senator, Michigan) 1845–1848、1849–1857
  • 民主党大統領候補 1848年
  • 国務長官(Secretary of State) 1857–1860

ライフ

ニューハンプシャー州のエクセターで生まれた。

キャリア

1806年、キャスはオハイオ州議会下院議員に選出された。また1806年、ジェファーソン大統領はキャスをオハイオ州の連邦保安官に選出した。

陸軍長官

1831年8月1日、キャスはミシガン準州知事を辞め、アンドリュー・ジャクソン大統領の下で陸軍長官を務めることになった。彼は1836年まで長官を務めることになる。



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