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ルキウス・ウェルス:ローマの共同皇帝と東方の司令官

ルキウス・ウェルス(130年–169年)は、161年からマルクス・アウレリウスと共同でローマ皇帝を務めた。パルティア戦争におけるローマ軍の東方作戦を統括し、東方属州を管轄したが、アントニヌス朝期に流行病とみられる病で没した。

ルキウス・ウェルス(出生名ルキウス・ケイオニウス・コンモドゥス、130年12月15日–169年)は、161年から死去までマルクス・アウレリウスとともにローマの共同皇帝を務めた。アントニヌス朝の継承構想に従って共同統治者に任じられたウェルスは、東方における軍事指揮、マルクスの年少の同僚としての役割、そして帝国を襲った流行病の時期に死去したことによって記憶されている。

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生涯初期と即位

元老院階級の家に生まれたルキウスは、ハドリアヌスが最初に後継者として選んだものの皇帝に先立って死去したルキウス・アエリウス・カエサルの子であった。アントニヌス・ピウスが皇帝となると、彼はマルクス・アウレリウスと年少のルキウスの両者を後継者として養子に迎え、両者を継承順位に置いた。161年にアントニヌスが死去すると、二人は共同のアウグストゥスとして宣言された。皇帝の称号と栄誉は共有したが、道徳的・知的な面での主導的権威はマルクスが保持した。

共同統治とパルティア戦争

即位後まもなく、ローマはパルティア帝国との戦争に巻き込まれた。ウェルスは東方属州での作戦を監督するため派遣されたが、実際の戦役の多くは、彼の名目上の指揮下にある経験豊かな将軍と軍団が担った。ローマ軍は失地を回復し、セレウキアやクテシフォンなどの重要都市を占領して、メソポタミアにおける影響力を再び確立した。この遠征は軍事的威信をもたらした一方、意図しない結果も招いた。

人物・家族・死

同時代および後代の著述家は、ウェルスを共同皇帝よりも享楽を好む人物として描いており、この対照はマルクスのストア派的な評判との比較でしばしば強調される。それでも彼は皇帝としての職務を果たし、貨幣を発行し、アウグストゥスに通常与えられる栄誉を受けた。彼はマルクスの娘ルキッラと結婚し、この王朝的結び付きは共同統治を強化した。169年、ウェルスはローマ、または皇帝の保養地で死去した。多くの歴史家は慎重に、東方から帰還した軍隊とともに広がった、一般にアントニヌスの疫病と呼ばれる流行病とその死を関連付けている。

遺産と史料

  • 彼の共同統治は元首政における協同的な皇帝統治の一例であり、権力がいかに共有・委任されえたかを示している。
  • パルティア戦争での軍事的成果はローマの東方における地位を強化したが、流行病の拡大を促進した可能性が高い。
  • カッシウス・ディオの著作や後代の概説書などに主要な叙述史料が残る。ただし、『ヒストリア・アウグスタ』のように慎重な扱いを要する史料もある。

より著名な共同統治者の年少の相手として描かれることが多いものの、ルキウス・ウェルスは2世紀半ばの帝国政治と戦争において決定的な役割を果たした。彼の在任期は、ローマ帝国における継承慣行、属州の指揮、軍事作戦と公衆衛生の相互関係を理解する手掛かりとなる。

関連項目

著者

AlegsaOnline.com ルキウス・ウェルス:ローマの共同皇帝と東方の司令官

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