マーゴット・フォンテインDame Margot Fonteyn DBE、1919年5月18日 - 1991年2月21日、パナマ市、サリー州レイゲート生まれ)は、イギリスのバレリーナであり、史上最も偉大なクラシックバレエダンサーの一人と広く評価されています。表現の純粋さ、音楽性、そして長年にわたる舞台での安定感で知られ、国際的な舞台と録音・映像を通じて多くの観客を魅了しました。

生い立ちと育成

フォンテインはパナマに生まれ、幼少期にイギリスへ移住してバレエの修業を始めました。若い頃から抜きん出た才能を示し、ナネット・ド・ヴァロワやフレデリック・アシュトンらに影響を受けた英国の主要なバレエ学校で訓練を受け、早くから舞台に立つようになりました。若手時代からその技術と演技力は注目を集め、やがて英国の主要バレエ団の中心的存在となっていきます。

ロイヤル・バレエでの経歴

フォンテインは一貫してロイヤル・バレエ団の舞台で活躍しました。長年にわたりプリンシパルとして主要な古典作品や新作の主役を踊り、特に『ジゼル』『眠れる森の美女』『白鳥の湖』などの悲劇的・叙情的な役柄で高い評価を得ました。振付家フレデリック・アシュトンやナネット・ド・ヴァロワと緊密に協働し、新作のための役を生み出すこともしばしばあり、彼女自身が英国バレエの表現様式形成に重要な役割を果たしました。

長年の功績を讃えられ、フォンテインは最終的にエリザベス2世により同団のプリマ・バレリーナ・アッソルタに任命されました。これは舞踊家に対する極めて稀な栄誉であり、彼女が得た多数の栄典の中でも特に象徴的なものです。フォンテインはまた、英国政府からの表彰としてDame(大英帝国勲位)を受けています。

ヌレエフとのパートナーシップ

フォンテインのキャリアは1960年代に新たな転機を迎えます。ソビエト連邦から亡命したロシア人ダンサー、ルドルフ・ヌレエフとの出会いによって国際的注目が再燃しました。ヌレエフはフォンテインより約19歳若く、二人は1960年代初頭から共演を重ねることで互いの芸術性を高め合い、古典的レパートリーに新たな感動をもたらしました。そのパートナーシップは舞台上での濃密な感情表現と技術的な統一感が特徴で、往年の観客と批評家から「バレエ史上最も有名なパートナーシップ」と評されるほどの盛況ぶりだった

私生活と困難

1955年、フォンテインはパナマの政治家と結婚しました。夫は1960年代に暗殺未遂に遭い重傷を負い、その後も健康上と財政上の問題を抱えたため、フォンテインは家族の事情や夫の療養費用のために踊り続けることになりました。結婚生活は必ずしも幸せなものではなく、夫に愛人がいたと報じられることもありましたが、夫妻は夫が1989年に亡くなるまで婚姻関係を維持しました。

晩年と遺産

フォンテインは1979年近くまで現役として舞台に立ち続けるという稀有な長期現役を果たしました。年齢を重ねても変わらぬ表現力と舞台上の威厳で後進に大きな影響を与え、引退後も世界各地で高い評価を受け続けました。1991年2月21日、彼女はサリー州レイゲートで亡くなりました。

彼女の遺したものは、単に完璧なテクニックだけでなく、役に深く入り込む演劇性、音楽に寄り添うフレージング、そして舞台芸術に対する献身です。多くの舞踊家や振付家がフォンテインを模範とし、古典バレエの解釈や上演の標準に彼女の名前が刻まれ続けています。