ボコ・ハラム(Boko Haram)とは:ナイジェリアのテロ組織・歴史と主な事件

ボコ・ハラムの起源・思想とナイジェリアでの主要事件を分かりやすく解説。拉致や襲撃の経緯・被害、国際的影響まで詳述。

著者: Leandro Alegsa

ボコ・ハラム(Boko Haram)は、ナイジェリア北東部を中心に活動する武装イスラム主義組織です。2015年に一部がイラク・レヴァントのイスラム国の(IS)勢力と名乗る形で関係を表明しましたが、組織内部での分裂や指導者交代が繰り返されており、一枚岩ではありません。2009年以降に武力闘争を本格化させ、ナイジェリア国内だけでなく周辺国(チャド、カメルーン、ニジェール)の一部にも影響を及ぼしています。

名前の由来と思想

正式名称はJama'atu Ahlis Sunna Lidda'awati wal-Jihadで、アラビア語では「預言者の教えとジハードの伝道に献身する者たち」を意味します。通称「ボコ・ハラム」は現地のハウサ語とアラビア語の混成語で、ハウサ語の「ボコ」が「(西洋式の)教育」や「非イスラム的なもの」を指し、アラビア語の「ハラム」が「禁忌・罪」を意味します。つまり「西洋的(非イスラム的)な教育・文化は禁じられるべきだ」という主張を込めた名称です。

結成と初期の展開

グループは2002年にマイドゥグリで宗教的な教化活動として結成されました。創設期の指導者はモハメド・ユスフで、彼は地元のムスリム若者を中心に支持を集めていました。2009年に同指導者と治安部隊の衝突が起き、ユスフは拘束後に死亡(あるいは射殺)し、その後の鎮圧と報復を経て組織は武装化・過激化しました。以後、後継指導者らの下で殺傷力の高いテロや略奪、誘拐などが増加しました。

イデオロギーと行動様式

ボコ・ハラムは表面的にはスンニ派原理主義を標榜し、スンニ派のイスラム教の教義を基に国家や社会を形作ろうとする立場を取りました。以下の点が特徴です。

  • 西洋式教育や西洋文化、現代科学への強い反発(例:2009年に指導者が「地球が球体である」といった科学的事実を否定した発言が報じられた)。
  • 世俗国家や選挙による政治を否定し、ナイジェリアにおけるイスラム法(シャリーア)導入を目指す姿勢。
  • 暴力的手段(自爆攻撃、銃撃、放火、誘拐、女性・子どもの自爆要員化、子ども兵の動員など)を使用する点。
  • 服装規範や日常の行動(シャツやパンツの着用の禁止、投票行為の否定等)に関する厳格な社会規範の強制。

主要な事件と活動の拡大

グループは2009年以降、ナイジェリア北部で度重なる襲撃やテロを実行しました。代表的な事件には次のようなものがあります。

  • 2009年:創設者モハメド・ユスフの死後に武装化が加速。
  • 2010年12月:バウチ刑務所(Bauchi)への襲撃で多数の受刑者を解放した事件(数百人規模)。
  • 2010年12月:ヨス(プラトー州)での爆弾テロで多数の死者を出した事件と、その後のアブジャの兵舎襲撃。
  • 2010–2011年:マイドゥグリで民間人の大量殺害や、アブジャ警察本部・国連施設への攻撃が相次いだ年。
  • 2014年4月14日:学校の女子生徒200人以上(一般に「チボクの女子学生」事件として知られる)が誘拐された事件。以降、一部は脱出・釈放されましたが、多くは行方不明のままか強制的に結婚・兵士化されたと報告されています。
  • 2015年1月:バガでの大規模襲撃(バガ事件)で多数の市民が殺害され、多数の建物が焼失・損壊した。犠牲者数は当局と住民・国際機関の報告で大きく異なり、数百~数千の幅で推定のばらつきがある。
  • その他:複数年にわたって国境地域(チャド湖周辺や隣国)でも襲撃、拉致、自爆攻撃が継続。女性や子どもを用いた自爆攻撃の多発も深刻な問題となった。

イスラム国との関係と組織分裂

2015年に当時のリーダーたちはイスラム国(IS)に忠誠を誓う声明を出し、「イスラム国西アフリカ州(ISWAP)」を名乗る動きが生じました。しかし、組織内では方針や指導権をめぐる対立が激化し、やがて二つ以上の勢力に分裂しました。

  • 一方はアブバカル・シェカウ(Abubakar Shekau)率いる旧来の過激派路線を維持する派閥で、残虐な市民攻撃や無差別テロを辞さない戦術を取りました。
  • 他方はIS中央が承認したリーダー(後にアブー・ムサブ・アル=バルナウィ等)を中心とする派があり、こちらは住民統治や税徴収を重視する戦術も取り入れ、ISの戦略に近づいたとされています。
  • 2016年以降、ISは公式に異なる指導体制を承認するなどの動きを見せ、最終的に2021年ごろにシェカウは敵対するIS派との衝突の中で死亡(あるいは自害)したと広く報じられ、以降ISWAP系が地域で影響力を強めています。

人道的・社会的影響

ボコ・ハラムの活動は深刻な人道危機を引き起こしました。長年にわたる襲撃や治安悪化により、数万人が死亡し、数十万〜数百万規模の国内避難民(IDPs)や難民が発生しています。農村地域の経済や食料安全保障は大きく損なわれ、教育や医療といった社会基盤も壊滅的な打撃を受けました。国際機関やNGOは飢餓、保健問題、子どもたちの兵員化・性的暴力などを深刻な懸念事項として繰り返し警告しています。

ナイジェリア政府と国際社会の対応

ナイジェリア政府は複数回にわたり軍事作戦を実施するとともに、2013年にはボルノ州など複数州に非常事態を宣言しました。ナイジェリアと周辺国(チャド、カメルーン、ニジェール)は共同で「多国籍合同任務部隊(MNJTF)」を結成して対抗に当たっています。国際社会は制裁、治安支援、人道援助を通じて対応しており、アメリカ合衆国や英国、国連などが組織をテロリスト指定するなどの措置を取っています。

主な出来事(補足)

  • 2009年:ユスフの拘束・死に伴う武装化
  • 2010–2011年:北部での爆弾・襲撃事件の多発(アブジャやヨスなど)
  • 2014年4月:チボクの女子学生誘拐(約200名) — 国際的な非難と「#BringBackOurGirls」運動を引き起こす
  • 2015年1月:バガでの大規模襲撃(被害規模は報告により大きく異なる)
  • 2015年:一部がイスラム国に忠誠を誓うと宣言
  • 2016年以降:組織分裂とISWAPの台頭、及びシェカウの最終的な排除(報告)

現状(概要)

断続的な軍事作戦と組織内の分裂により、かつてのような広域占領は縮小した地域もありますが、テロや襲撃、拉致は依然として続いています。ISWAP系の勢力は依然として湖周辺地域や国境地帯で活動しており、一般住民への脅威、学校や市場を標的とする暴力、女性・子どもの人権侵害などが続いています。被害者支援や地域復興、過激主義の根本原因に対処する包括的な取り組みが求められています。

注記

上記は組織の成り立ち、主な事件、地域的影響などを概説したもので、事件の被害者数や年次の詳細は報告機関によって差があります。特に大規模襲撃の犠牲者数や拉致後の行方については見解の分かれる点が多く、複数の情報源を参照することを推奨します。

質問と回答

Q:ボコ・ハラムとはどういう意味ですか?


A: ボコ・ハラムとは、「西洋の教育は禁止されている」という意味のハウサ語に由来する言葉です。西洋の教育、文化、科学、選挙での投票に反対するイラクとレバントのイスラム国(ISIL)の過激派の一派を指します。

Q:ボコ・ハラムはどこに拠点を置いているのですか?


A:ボコ・ハラムはナイジェリア北東部のボルノ州を中心に活動しています。

Q: Jama'atu Ahlis Sunna Lidda'awati wal-Jihadは何を意味しますか?


A: Jama'atu Ahlis Sunna Lidda'awati wal-Jihadは「預言者の教えの伝播とジハードに献身する人々」と訳され、グループの正式名称となっています。

Q:ボコ・ハラムが反乱を始めたのはいつですか?


A:反乱は2009年に始まりました。

Q:ボコ・ハラムはどのような活動をしてきたのですか?


A: ボコ・ハラムは、爆弾テロ、誘拐、銃撃、放火、略奪のほか、刑務所の襲撃や軍事目標の攻撃といったテロ活動も行ってきました。彼らはアフリカで何千人もの人々を殺害してきました。

Q: ボコ・ハラムと「ナイジャーデルタ解放運動」(MEND)の間に何らかの関係があるのでしょうか?


A: いいえ。MENDが石油産業の搾取に反対しているのに対し、ボコ・ハラムは西洋の教育や文化に反対することに焦点を当てているので、この2つのグループには何のつながりもありません。

Q:いつから「イスラム国」の一部になったのですか?


A:2015年3月、イスラム国の一部となった。


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