ネリー・メルバ(1861–1931)オーストラリアを代表するオペラソプラノの生涯と業績
デイム・ネリー・メルバGBE(本名:ヘレン・ポーター・ミッチェル、1861年5月19日 - 1931年2月23日)は、オーストラリアのオペラソプラノ歌手である。彼女はヴィクトリア時代末期から20世紀初頭にかけて最も有名な歌手の一人となった。メルバはオーストラリア人で初めて世界的に有名なクラシック音楽家となった。
メルバは、ビクトリア州のリッチモンドで生まれた。父親はスコットランド人であった。シドニーで敗血症で死亡。
生い立ちと音楽教育
ヘレン・ポーター・ミッチェルはメルボルン近郊で育ち、幼少期から歌に才能を示した。地元で声楽の基礎を学んだ後、ヨーロッパへ渡って本格的に研鑽を積んだ。フランスでは名教師に師事し、特にイタリア・フランス・ドイツのレパートリーに対応できる技巧と表現力を磨いた。芸名「メルバ(Melba)」は出身地のメルボルン(Melbourne)に由来する。
舞台とレパートリー
メルバはヨーロッパ各地、特にロンドンのコヴェントガーデンやパリの主要歌劇場で活躍し、国際的な名声を確立した。高音の伸びと純粋な音色が特徴で、ベルカントやリリカルな役柄を得意とした。代表的なレパートリーにはG.ドニゼッティの『ルチア』、G.ヴェルディやG.ビゼー、C.グノーの作品における主要ソロが含まれ、彼女の演技と歌唱は当時の批評家や聴衆から高く評価された。
録音とメディア
メルバは早期の音響録音の時代に多くのレコードを残し、自身の声を後世に伝えた。これらの録音は当時としては珍しい長距離の国際的な人気を支える重要な媒体となり、また後進の歌手や研究者にとって貴重な資料となっている。
社会的貢献と栄誉
メルバはコンサートで得た収益を慈善活動に充てることが多く、特に第一次世界大戦中には戦時救援のためのチャリティーコンサートに尽力した。この活動により英国および連邦内で高い評価を受け、女王や政府から栄誉を授与された。デイム(Dame)の称号は彼女の業績と公共への貢献を象徴している。
文化的遺産
メルバの名は音楽界のみならず広く文化に浸透している。フランスの料理人オーギュスト・エスコフィエが彼女を称えて考案したデザート「ピーチ・メルバ(Peach Melba)」や、薄く焼いた「メルバ・トースト」は有名で、今日でもその名で親しまれている。また、メルバは後進の教育にも関わり、メルボルンには彼女の名を冠した音楽教育機関が設立され、音楽文化育成に寄与している。
死と評価
ネリー・メルバは1931年に死去し、生前の栄誉と功績は没後も高く評価され続けている。彼女はオーストラリア出身の歌手として初めて世界的な名声を得た人物と見なされ、国際的なオペラ史とオーストラリアの文化史における重要な存在である。


ヘンリー・ウォルター・バーネットによるデイム・ネリー・メルバGBEの肖像画