ネロ

ネロNerō Claudius Caesar Augustus Germanicus、紀元37年12月15日 - 紀元68年6月9日)は、ユリオ=クラウディウス朝の第5代、最後のローマ皇帝である。ルキウス・ドミティウス・アヘノバルブスとして生まれた。

ネロは大叔父のクラウディウスの養子である。54年10月13日、クラウディウスの死後、皇帝となった。クラウディウスは、ネロの母アグリッピナによって暗殺されたと思われる。アグリッピナは、ブリタニクス(クラウディウスの実子)が権力を握る前に、ネロの後継者を確保する動機があったのだ。

皇帝としてのネロ

ネロはその治世において、外交、貿易、そして帝国の文化資本の整備に力を注いだ。彼は劇場の建設を命じ、運動競技を奨励した。

彼の治世は、パルティア帝国との戦争と和平交渉の成功、ブリテンの反乱の鎮圧、第一次ローマ・ユダヤ戦争の開始などであった。

64年、ローマ大火でローマのほとんどが焼失した。68年、ガリアでヴィンデクスの反乱が起こり、その後イスパニア(スペイン)でガルバが即位し、ネロは王位から追われることになった。暗殺されそうになったネロは68年6月9日に自殺した。

ネロの支配は、しばしば専制と浪費と結び付けられる。母親と義兄弟を含む多くの処刑で知られている。

ネロは、ローマが燃えている間、バイオリンを弾いた皇帝として知られている。実はバイオリンは発明されていなかった。当時ネロはローマにおらず、火事を知ると救援活動を指揮するために戻ってきた。

また、キリスト教徒を迫害した。しかし、古代の資料には、ネロが在位中もその後も庶民の間で人気があったことを示すものもある。

ネロの大理石の胸像(ヴェルサイユ宮殿)Zoom
ネロの大理石の胸像(ヴェルサイユ宮殿)


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