ニコス・サンプソン:1974年クーデターで8日間大統領に就いたキプロスの政治家
ニコス・サンプソン──1974年クーデターで8日間大統領に就任、EOKA・トルコ侵攻・裁判と投獄を経たキプロス近現代史を詳述。
Nikos Sampson(1935年12月16日 - 2001年5月9日)は、キプロスの政治家であり、民族主義運動に深く関わった人物である。1974年に約8日間、キプロスの暫定的な指導者(事実上の大統領)として短期間政権を握ったことで国際的に知られている。
経歴と背景
サンプソンは若い頃からギリシャ系キプロス人の民族主義運動に関与し、英国統治下における独立運動にも参加した。キプロスがイギリスから独立する以前から、イギリス支配に対抗した武装組織EOKAで活動した。EOKAは「エノシス(ギリシャとの統合)」を目指し、キプロス島におけるギリシャ系住民の立場強化を図る一方で、トルコ系住民との衝突もしばしば発生した。後年、EOKAを受け継ぐ勢力として結成されたEOKA-Bでも活動した。
1974年のクーデターと短期政権
1974年7月、ギリシャの軍事政権(軍事独裁政権)と結びついた勢力が当時の大統領アークンドプロス・マカリオスを追放するクーデターを実行した。クーデターに伴い、EOKA-Bに近い勢力はニコス・サンプソンを暫定的な指導者として据え置き、短期間だが彼が政権の中心人物となった。しかし、その直後に状況は急変し、トルコがキプロス北部へ軍事介入(侵攻)を行ったことで混乱が拡大し、サンプソンは政権を辞任した。
裁判と晩年
クーデターおよびそれがもたらした混乱の責任をめぐり、サンプソンは後に国内で法的手続きを受けた。最終的に反逆罪などで有罪判決を受け、20年間の禁錮刑が宣告された。政治的には極めて論争的な人物であり、支持者からは民族主義者として、批判者からはクーデターとその結果に対する責任者として見なされた。
釈放後の活動や晩年は比較的静かなものとなり、執筆や限定的な政治的発言を続けたとされる。ニコス・サンプソンは2001年に死去した。彼の生涯はキプロス近現代史の重要な転換点と深く結びついており、クーデターと1974年のトルコ介入に関する議論の中心にあり続けている。
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