Oodgeroo Noonuccal(/ˈʊdɡəruː/ /ˈnuːnəkəl/ UUD-gə-roo NOO-nə-kəl; born Kathleen Jean Mary Ruska, former Kath Walker; 3 November 1920 - 1993年9月16日)は、オーストラリアの詩人、政治活動家、芸術家、教師であった。オーストラリアの先住民(アボリジニ)として初めて詩集を出版したことで広く知られる。ウッジェルー・ヌヌカル(Oodgeroo Noonuccal)は、クアンダムーカ(Quandamooka)の伝統的な名前で、1988年に彼女が自ら名乗るために選んだものである。ウッジェルーは紙の皮の木を意味し、ヌヌカルは彼女の部族の名前に由来する。

生まれはノース・ストラドブローク島(先住民名 Minjerribah)のコミュニティで、幼少期から土地と文化に深い結びつきを持って育った。成人してからはブリスベンなど都市部で教職や文化活動に携わり、詩作を通じてアボリジニの現状や歴史、人間としての尊厳を訴えた。

ウッジェルーは長年にわたりアボリジニの権利のために力強い運動を展開した。特に1967年のオーストラリア憲法改正キャンペーンでは中心的な役割を果たし、改正は連邦政府が先住民に関する法律を制定できるようにするなど重要な変化をもたらした。これにより一部で「アボリジニに完全な市民権が与えられた」と説明されることがあるが、実際の制度的経緯や権利の獲得には複雑な歴史があり、1967年の国民投票はその一段階を示したものだった。彼女はまたロバート・メンジース首相やその後継者であるハロルド・ホルト氏の選挙運動にも参加しましたといった公的な活動を通じて、幅広い聴衆に向けて問題提起を行った。

文学面では、アボリジニの女性として最初期に刊行された詩集『We Are Going』(1964年)をはじめ、多数の作品を発表した。この最初の詩集は商業的にも成功し、ウッジェルーはオーストラリアで最も読まれる詩人の一人になった。彼女の詩は明快で直接的な表現を用い、しばしば政治的かつ教育的なメッセージを含んでいる。本人は作風を「スローガン的」と評したこともあり、差別や不公正に対する怒り、土地や祖先への愛着、そして人々に平等を訴える強い意思が貫かれている。メアリー・ギルモア・メダル(1970年)、ジェシー・リッチフィールド賞(1975年)、オーストラリア作家協会のフェローシップ賞など、国内の文学賞も多数受賞した。

1972年には故郷であるノース・ストラドブローク島のムーンガルバに教育センターを開設し、地域の子どもたちや訪問者に対して自然やアボリジニの文化、伝統的な知識を教える活動を行った。このセンターは文化継承と環境教育の場としてコミュニティに貢献し、若い世代への影響力を持ち続けた。

ウッジェルーは1970年に大英帝国勲章のメンバーに選ばれたが、1987年のオーストラリアの200周年記念(バイセンテナリー)に際して、先住民に対する扱いや社会的な不正義を訴えるためにその勲章を不平等への抗議として返還した。この行為は彼女の一貫した政治的姿勢と、公的舞台での発言力を象徴するものとなった。

1993年に亡くなった後も、ウッジェルー・ヌヌカルの詩と活動はオーストラリアの文学・文化・政治に大きな影響を与え続けている。彼女は先住民の声を国内外に届け、後進の先住民作家や活動家たちに道を開いた人物として評価されている。彼女の作品は学校教材や公的な場でも引用され、和解や権利擁護、文化保存の議論において重要な位置を占めている。