Viktor Andriyovych Yushchenko(ウクライナ語:Віктор Андрійович Ющенко)(1954年2月23日生まれ)は、ウクライナの政治家で、2005年から2010年まで第3代大統領を務めた。経済学者・銀行家としての経歴を持ち、1993年1月から1999年12月までウクライナの国立銀行の頭取を、1999年12月から2001年5月までウクライナの首相を務めた。
2004年大統領選とオレンジ革命
2004年の大統領選挙では、決選投票の結果が当初ヴィクトル・ヤヌコビッチ氏を支持した側の勝利として発表されたが、ユシチェンコ陣営とその支持者らは大規模な不正が行われたと主張した。彼らはこの抗議運動を全国規模で展開し、何百万人が参加する街頭行動や座り込みが行われた。この一連の運動は色として使われた支持色にちなみオレンジ革命と呼ばれた。国内外の圧力のなか、ウクライナの裁判所は決選投票のやり直しを命じ、再投票の結果、ユシチェンコが勝利を収め、2005年に大統領に就任した。
毒殺疑惑と治療
選挙期間中、ユシチェンコは重篤な健康被害を受け、顔面の変色や皮膚疾患といった症状を呈して入院・治療を受けた。彼自身は政敵による毒殺未遂を主張し、後の検査で通常より高濃度のダイオキシン類(TCDDなど)が検出されたとの報告もあり、汚染性化学物質による中毒が疑われた。だが、犯行主体の特定や決定的な結論に至っていない点も多く、捜査や研究は継続的に議論の対象となっている。
同盟と対立:ティモシェンコとの関係
ユリア・ティモシェンコとはオレンジ革命当時に強い同盟関係にあり、連立政権を形成して改革を進めようとした。しかし政権運営を巡り次第に亀裂が生じ、財政・人事・政策をめぐる対立が激化した。現在では両者の間に多くの政策的・個人的な誤解や対立が残っている。
大統領在任中の政策と課題
- 対外政策:EUやNATOとの関係強化、欧州志向の外交を推進したが、ロシアとの天然ガスや安全保障を巡る摩擦が続いた。
- 国内改革:汚職追及や市場経済化を掲げたが、汚職根絶や経済改革の実行は難航し、国内政治の分裂や旧勢力の抵抗に直面した。
- 政治的対立:連立内部や野党との対立、地方勢力との調整などで支持基盤が脆弱になり、政策実現に制約があった。
2010年選挙以降
2010年2月、ユシチェンコは再選を目指して出馬したが、決選投票で再びビクトル・ヤヌコビッチに敗れ、大統領職を退いた。退任後は政治活動を続けつつも以前ほどの影響力は薄れ、ウクライナ政治における象徴的存在としての評価と、在任中の成果・限界についての議論が続いている。
評価と遺産
ユシチェンコは民主主義と欧州指向の象徴として広く知られている一方で、在任中に期待された改革の多くが十分に実現できなかったという批判もある。オレンジ革命は市民の政治参加を大きく促し、ウクライナの政治史における重要な転換点となったが、長期的な政党体系の安定や制度的な腐敗除去にはさらなる努力が必要であることを露呈した。

