ダンディー・ユナイテッドF.C. — スコットランド・ダンディーの概要・歴史・成績
ダンディー・ユナイテッド・フットボール・クラブは、スコットランドのダンディーにあるプロサッカークラブである。現在、スコティッシュ・チャンピオンシップに所属している。監督はミッキー・メロン。2018-19シーズンはチャンピオンシップでロス・カウンティに次ぐ2位となった。プレミアシップ・プレイオフでセントミレンと対戦し、PK戦で2-0と敗れ、プレミアシップへの再昇格は果たせなかった。ダンディー・ユナイテッドは1982-83年のスコットランド・プレミアリーグ、1994年と2010年のスコティッシュカップを制覇している。
概要
- 創立:1909年(創設当初は「Dundee Hibernian」、1923年に現名に改称)
- 本拠地:タンナディス・パーク(Tannadice Park)— 市内中心部に位置する歴史あるスタジアム。収容人数は約14,000人規模。
- クラブカラー:タンジェリン(オレンジ系)— サポーターやユニフォームでおなじみの色。
- 愛称:「ユナイテッド」「タンジュリン」「ザ・テラーズ(The Terrors)」など
歴史と黄金期
- 1970年代から1980年代にかけての台頭がクラブの黄金期で、ジム・マクリーン監督(Jim McLean)の下で国内外での成功を収めた。
- 国内タイトル:1982-83シーズンにスコットランド・プレミアリーグ(当時の1部リーグ)を制覇。主要カップ戦では1994年と2010年にスコティッシュカップ優勝を果たしている。
- 欧州での戦績:1983-84の欧州大会(European Cup)で上位進出を果たし、1986-87シーズンのUEFAカップでは決勝に進出するなど、国際舞台でも注目を集めた。
代表的な監督・選手
- ジム・マクリーン:クラブ史上最も影響力のある監督の一人。育成と戦術でクラブの基盤を築き、黄金期を導いた。
- 著名な選手:デイヴィッド・ネイリー(David Narey)、モーリス・マルパス(Maurice Malpas)、ポール・スターロック(Paul Sturrock)、ケビン・ギャラチャー(Kevin Gallacher)ら、多くの代表クラス選手を輩出・在籍した。
ライバルと地域性
- 最大のライバルは同じダンディーを本拠とするダンディーFC(Dundee FC)。両クラブの本拠地は直線距離で非常に近く、ダービー戦は歴史的に激しい対戦となる。
- 地元コミュニティとの結びつきが強く、地域文化やファンの誇りに支えられているクラブである。
戦績・タイトル
- リーグ:スコットランド・プレミア(1回) — 1982-83
- カップ:スコティッシュカップ(2回) — 1994, 2010
- 欧州:UEFAカップ準優勝(1986-87)など、国際大会での好成績も歴史に名を残す。
近年の動向
- 近年は一時期プレミアシップ(スコットランド1部)とチャンピオンシップ(2部)を行き来しており、安定した上位定着を目指している。
- クラブ運営や財政面での再建、ユース育成の強化、スタジアム・施設の整備などが取り組み課題となっている。
- 監督交代や選手補強を通じて、再びトップリーグ復帰と欧州舞台での躍進を目標としている。
サポーターと文化
- タンジェリンのユニフォームと丹精込めた応援が特徴で、地元では熱心なファンベースを持つ。
- ダービーや欧州の舞台での試合は街全体が盛り上がり、クラブは地域のアイデンティティの一部となっている。
ダンディー・ユナイテッドは、長い歴史の中で国内外に爪痕を残したクラブであり、現在も復活と成長を目指して活動を続けている。
名称
- 1909年~1923年 ダンディー・ハイバーニアンFC
- 1923年~現在 ダンディー・ユナイテッドFC
スタジアム
ダンディー・ユナイテッドのホームグラウンドは、その歴史を通して、市のクレピントン地区のタナディス・ストリートにあるタナディス・パークである。ライバルであるダンディーFCの本拠地デンズ・パークからわずか170ヤード(160m)しか離れておらず、この2つのスタジアムは英国内で最も近いシニアサッカー場である。
クラブが他の会場でホームゲームを行ったのは、これまで1度だけです。1947年3月に行われたレンジャーズとのリーグカップ戦で、雪でタナディスが使用不能になったにもかかわらず、道路を挟んだデンスパークで試合を行うことができました。
両クラブのスタジアムの老朽化と近接性から、両クラブが新しい専用スタジアムに移転する可能性がさまざまな場面で議論されるようになりました。最も新しく本格的な提案は、2008年欧州サッカー選手権の共同開催を目指すスコットランドの入札の一環として行われ、複数のクラブがケアード・パークの予定地に計画許可を得て新しいスタジアムの恩恵を受けようとしたものでした。当時の規則では、SPLのチームがグラウンドを共有することは禁じられていたため、この提案を進めるために特別な免除が要求されました。しかし、2008年6月、共同開催国であるウクライナのユーロ2012開催能力に疑問が呈され、スコットランドサッカー協会が代替開催地として関心を示したため、この計画は再び持ち上がった。