映画『グッドナイト・アンド・グッドラック』(2005)とは — クルーニー監督が描くマローvsマッカーシー
映画『グッドナイト・アンド・グッドラック』—クルーニー監督が描く1953年のマローvsマッカーシー、メディアの責任と勇気を白黒で鮮烈に描く政治ドラマ。
Good Night, and Good Luck.」は、アカデミー賞にノミネートされた、ジョージ・クルーニー監督による2005年のアメリカ映画です。脚本はクルーニーとグラント・ヘスロブが共同で執筆し、物語は1953年のアメリカを舞台にしています。本作は、ラジオ・テレビ界のベテランジャーナリスト、エドワード・R・マローと、ウィスコンシン州選出のジョセフ・マッカーシー上院議員との対立を描いており、特にマッカーシー上院議員が上院常設調査委員会で行った反共的な行動と、それに対してメディアがどう応じたかが中心テーマになっています。
概要・特徴
本作はモノクロ映像で制作されていますが、撮影はカラーのフィルム・ストックを使用してグレースケール調のセットで行われ、その後ポストプロダクションで白黒に色補正されました(作品のレトロな質感と当時の報道映像の雰囲気を再現するための選択です)。映画は、メディアの責任、言論の自由、そして権力監視の重要性を問いかける作品であり、冷戦下のアメリカにおける恐怖政治と報道の倫理を描いています。タイトルは、マローが放送の締めに用いた決まり文句「Good night, and good luck.」から取られています。
キャスト(主な出演者)
- デヴィッド・ストレザーン(エドワード・R・マロー役) — 主人公となるジャーナリスト。
- ジョージ・クルーニー(フレッド・フレンドリー役) — マローのプロデューサー兼共同制作者で、作品内でも重要な役割を担います。
- ロバート・ダウニー・Jr.(スタッフの一員) — 番組制作に関わる若手ジャーナリストを演じます。
- フランク・ラングェラ(ジョセフ・マッカーシー上院議員) — マッカーシー本人を劇中で象徴的に描写します。
- ほか、当時のCBSスタッフや関係者をモデルにした登場人物たちが配され、実際の出来事をドラマとして再構成しています。
あらすじ(簡潔)
1950年代初頭、マロー率いるテレビ・ニュース番組は、マッカーシー上院議員による「共産主義の浸透」告発と、それに伴う人権侵害的な捜査の実態に疑問を呈します。番組は証拠と証言を積み重ね、上院委員会のやり方や名誉毀損的な追及の危険性を告発しようとしますが、放送局内部の圧力や政府側の反発、スポンサーや世論からの懸念といった障害に直面します。作品は、勇気を持って権力に対峙するジャーナリズムの姿勢と、その代償を描きます。
製作・撮影について
映像美は本作の大きな特長で、モノクロ撮影によって1950年代のニュース映像の質感を再現しています。セットや衣装、小道具は当時の放送局のスタジオを忠実に再現することに力が注がれ、観客に当時の緊張感を伝えます。脚本は史実に基づいていますが、ドラマ性を高めるために登場人物の会話や一部のエピソードは凝縮・再構成されています。
主題と歴史的背景
映画が扱うのは、いわゆる「マッカーシズム」と呼ばれる時代の恐怖政治、同時にメディアが果たすべき役割です。報道の独立性、事実検証の重要性、そして政府や権力者による言論の弾圧に対する抵抗が中心テーマです。エドワード・R・マローと彼の番組は実際に当時の政治的迫害を公に批判し、その結果としてテレビ報道が公共の利益のためにどのように機能し得るかを示しました。
評価・反響
公開当時、批評家や観客から高い評価を受け、演技、脚本、撮影スタイルが特に賞賛されました。主演の演技(特にマロー役)は評価が高く、映画全体が「古き良きジャーナリズムへの賛歌」として受け止められる一方で、一部の評論家は作品がやや理想化されていると指摘しました。興行的には大ヒットとは言えないものの、社会的・文化的影響は大きく、現代の報道倫理を巡る議論にもしばしば引き合いに出されます。
受賞・ノミネート
本作は多数の賞にノミネートされ、特にアカデミー賞では複数部門に候補入りしました(作品賞、監督賞、主演男優賞、脚本賞、撮影賞など)。このことは、作品の制作クオリティとテーマの普遍性が広く認められたことを示しています。
史実との距離
映画は史実に忠実な場面を多く含みますが、ドラマとしての展開や人物描写の簡略化・脚色も行われています。実際の出来事や人物関係はより複雑で、番組の影響力や内部の葛藤も多面的でした。そのため、作品を観る際は「史実をベースにしたドラマ作品」として理解することが適切です。
現代への意義
公開から年月が経った現在でも、本作が投げかける問いは色あせていません。権力監視の重要性、フェイクニュースや情報操作が問題となる現代において、ジャーナリズムの倫理や責任を再考させる作品として評価されています。
タグライン 彼らは真実のみを持って政府に挑みました。私たちはお互いに恐れながら歩くことはありません。
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