絞首・引き抜き・四分五裂(hanged, drawn and quartered)―英国の反逆者処刑法の定義と歴史
英国の反逆者処刑法「絞首・引き抜き・四分五裂」を定義・手順・史料で辿る歴史解説。残虐性と1814年・1843年の法改正まで詳述。
絞首・引き抜き・四分五裂(hanged, drawn and quartered)は、イギリスで反逆罪で有罪となった者に科されたことのある残酷な罰の一形態です。以下では、その典型的な手順、語義の議論、実施の実際、そして法制度上の変遷について、歴史的記録をもとにわかりやすく説明します。
処刑の手順(概略)
この処罰は通常、次のような過程で執行されました。個々の事例で順序や細部は異なることがありますが、一般的な構成は以下の通りです。
- まず被告は処刑場まで引きずられることがありました。多くの場合、馬に乗せられて公開の場に引き出され、処刑の行われる場所まで連行されたと記録されています(これがdrawnの一つの意味です)。
- ついで(処罰の一部として)短時間、あるいはほぼ死ぬまで絞首刑にされます。処刑にはしばしばショートドロップ(短落下)式が用いられ、頸椎を即座に折ることなく苦痛を伴わせることが多かったとされています。
- 絞首の後、絞首台から降ろされると、まだ生存している場合は腹部を切り開かれ、内臓(特に腸)やしばしば性器が取り出されます。取り出された臓器は罰の一部として近くで焼かれることがありました(この腹部摘出がdrawnのもう一つの意味です)。
- 最後に頭部が切り落とされ、胴体は四分される(四分五裂)ことがありました。こうして生じた頭部と四つの胴体部分(計五つの部分)は、反逆を思いとどまらせる目的で各地に示されることが一般的でした。
言葉の意味と歴史家の議論
英語表現のdrawnについては、歴史家の間で長く議論が続いています。ウィリアム・ウォレスの裁判記録のような中世の公文書では、処刑場まで「引きずられる」ことを示す語と、腹部から内臓を「引き出す」ことを示す語が別々に用いられている例があり、少なくとも一部の記録では両方の行為が行われたことは確実とされています。
オックスフォード英語辞典も、drawnが「処刑場まで引きずって行く」という意味と「内臓を引き出す(disembowel)」という意味の両方で用いられてきたと記載し、多くの事例ではどちらの意味が意図されているか判然としないことがあると注記しています。ただし、絞首の後にdrawnが続く場合は、後者(内臓を取り出す)の意味であることが多いと推定されています。
実際の執行の記録と手順の細部
史料や裁判記録は、処刑の具体的な描写をしばしば残しています。オールド・ベイリー(ロンドンの主要な法廷)での判決文では、しばしば「drawn, hanged, and quartered」を並べて記す例が見られ、文言に戸惑いがある場合もありますが、判決自体はかなり露骨に手順を述べていることが少なくありません。
そして、次のように判決が下された。 すなわち、彼らが来た場所に戻り、そこから、ハードルに乗って処刑の共通の場所に引き寄せられ、そこで首を吊るし、生きたまま切り落とされ、下院議員を切り落とし、腸を取り出して、彼らの顔の前で焼かれ、彼らの頭を胴体から切断され、彼らの胴体を四つの部分に分け、王が適当と考えるように処分されることである。
他の記録では、被処刑者を意識を失わせるために水を使う、腸をロール状に引き出す装置が用いられた、頭部は塩水で煮て(パーボイル)保存し、胴体部分は防腐のためにピッチ(樹脂)で処理して長期間露示した、といった具体的な描写が残っています。こうした処理は、遺体の外観をある程度保ちつつ、抑止力のために長く人々の目に触れるようにするためでした。
法制度上の変遷と廃止
時代が進むにつれて、こうした残酷な刑罰に対する反発や法改正が進みました。18世紀から19世紀にかけて、刑罰全般の近代化の流れの中で、反逆罪に対する伝統的な処罰も変化しました。史料には、1814年に議会での法改正により、従来の「絞首・引き抜き・四分五裂」に代えて、死刑執行は絞首に一本化され(その後は絞首で確実に死亡させる運用が一般化した)、遺体の公開展示を廃止する方向に進んだとする記録があります。
さらに、死刑執行後に遺体を各地に晒すといった慣行は徐々に廃止され、最終的には19世紀中盤までにこうした公的な遺体展示は法的に撤廃されました(法改正の具体的な条文・年次については史料により表現が異なるので、関心がある場合は専門の法史資料を参照してください)。
補足:用語と実情の理解
- 「drawn」について:処刑場まで「引きずっていく」という意味と、腹部を「引き出す(disembowel)」という意味の両方が用いられてきたため、文脈に注意が必要です。
- 絞首の方法:ショートドロップ(短落下)式は頸椎を即時に破断させず、むしろ窒息により死亡させるため苦痛が長引く場合がありました。これは(近代の標準であるロングドロップに比べて)残酷であるとされます。
- 見せしめの性格:頭部や四分された胴体を各地に掲示する行為は、主に国家の威嚇・抑止の目的で行われました。有名な事例としては、ウィリアム・ウォレスの遺体が各地に送られて掲示された例が知られます。
この処罰は現代の視点から見ると極めて残虐であり、刑罰の歴史や国家権力の表現、法制度の変遷を考える際の重要な史料を提供します。関心があれば、当時の裁判記録やオックスフォード英語辞典などの語彙史的資料、また各種法史研究を参照すると、さらに詳しい背景や用語の変遷が分かります。
_by_Claes_(Nicolaes)_Jansz_Visscher.jpg)
17世紀の印刷では、火薬の陰謀のメンバーの絞首刑、描画、四分儀による処刑が行われています。
百科事典を検索する