概要
モムチロ・クライシュニク(セルビア語キリル文字: Момчило Крајишник、1945年1月20日 - 2020年9月15日)は、ユーゴスラビア解体期の指導的役割と、その後の旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(ICTY)による有罪判決で知られる、ボスニア・セルビア人の有力政治家である。1990年代初頭のボスニア・セルビア人の政治組織化で中心的な役割を果たし、戦時中の暴力行為に関する疑惑と有罪判決のため、物議を醸す人物であり続けた。
政治経歴と役職
クライシュニクは民族主義的なセルブ民主党(SDS)の初期からの有力な党員であり、ラドヴァン・カラジッチらボスニア・セルビア人指導者とともに同党の設立に関わった。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992年 - 1995年)に至る不安定な時期から紛争中にかけて、彼はボスニア・セルビア人統治の上級機関で要職を務めた。主な役職は次の通りである:
- スルプスカ共和国人民議会議長(1990年 - 1992年)。
- スルプスカ共和国拡大大統領府の構成員(1992年6月 - 12月)。
- 戦後の1996年9月、ボスニア・ヘルツェゴビナの三者大統領府のセルビア人メンバーに選出された。
戦時下の背景と責任
スルプスカ共和国の上級政治家として、クライシュニクは紛争中にセルビア人支配地域を組織した政治機構の形成と運営に関与した。この時期には、ボスニア・ヘルツェゴビナ全域で激しい民族間暴力と大規模な住民移動が起きた。クライシュニクら指導者は、非セルビア人の民間人を標的にした政策や行為に関与したとして国際検察官から告発された。
ICTYの起訴、裁判、有罪判決
戦後、国連によって設立された旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(ICTY)は、紛争の各当事者の指導者を調査した。クライシュニクはICTYに起訴され審理を受け、2006年に人道に対する罪で有罪とされ、裁判所の判断により長期の禁錮刑が科された。この有罪判決により、彼は戦時中に実施された政策について刑事責任を問われた、数人のボスニア・セルビア人上級官僚の一人となった。
晩年、死去、評価
晩年のクライシュニクは分裂を招く存在であり続けた。混乱の時代にセルビア人の政治的利益を守った人物と見る向きがある一方で、多くの民間人に苦難をもたらした民族主義政策の象徴とする見方もあった。2020年にはバニャ・ルカの病院にCOVID-19で入院し、2020年9月15日に75歳で死去した。
特筆すべき位置づけと継続する議論
クライシュニクの生涯は、ポスト・ユーゴスラビア期のいくつかの大きな主題を示している。すなわち、エスノナショナリズム政党の台頭、戦時下での制度構築の難しさ、そして国際社会による重大な人道法違反の訴追である。ICTYによる有罪判決は、この地域の移行期正義をめぐる議論でしばしば引用され、紛争の争われる記憶の一部であり続けている。一次資料、法的判断、同時代の記録を詳しく知りたい読者は、SDS、スルプスカ共和国の諸機関、そしてICTY手続に関する法的アーカイブや学術研究を参照できる(人道に対する罪の事件記録)。
ここで触れた主要人物や出来事の背景をさらに知るには、ラドヴァン・カラジッチ、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、スルプスカ共和国の制度史に関する資料も参照するとよい。法的枠組みや告発内容については、人道に対する罪や国際法廷の活動を扱う資料が参考になる。