ウィリアム・ヘンリー・セワード(William Henry Seward、1801年5月16日 - 1872年10月10日)は、アメリカ合衆国の弁護士・政治家であり、反奴隷制の立場で知られた指導者です。第12代ニューヨーク州知事を務め、のちにアメリカ合衆国の上院議員となりました。さらに、エイブラハム・リンカーンとアンドリュー・ジョンソンの2人の大統領の国務長官を務め、南北戦争期およびその直後の対外政策で重要な役割を果たしました。
生い立ちと初期の経歴
セワードはニューヨーク州フロリダ(Florida, New York)で生まれ、ユニオン・カレッジ(Union College)で学びました。弁護士としての活動を経て州政界に進出し、改革派・反奴隷制の立場から政治活動を行いました。かつてはホイッグ党に所属し、後に共和党結成の過程で中心的な役割を果たしました。
政界での活動と1860年の大統領候補指名
セワードは奴隷制度に強く反対しており、共和党が発足していた頃から党内で重要な人物と見なされていました。1860年のアメリカ大統領選では、彼が共和党から指名されると予想する声が多くありましたが、党大会では最終的にエイブラハム・リンカーンが指名されました。上院議員としては対外問題や奴隷制問題に関わり、後に国務長官として政権運営に加わります。
国務長官としての働き
1861年、リンカーン政権で国務長官に就任したセワードは、南北戦争期にヨーロッパ列強が南部連邦(南軍)を承認しないよう外交的に尽力しました。戦時中の対外関係の維持や、戦後の国際的地位の確保に努め、1877年まで務めたわけではありませんが、リンカーン政権からジョンソン政権まで国務長官として長期にわたり外務を担当しました。
暗殺未遂と負傷
エイブラハム・リンカーン大統領が殺された夜(1865年4月14日)、暗殺の計画は複数の標的に及びました。そのうちの一人、ルイス・パウエル(Lewis Powell、別名 Lewis Payne)がセワード邸を襲撃し、寝室で重傷を負わせました。結果としてセワードの顔には攻撃の傷跡が残り、家族や使用人も負傷しました。襲撃者は後に逮捕され、軍事裁判で有罪となり処刑されました(行為に関与した者たちのうち数名が死刑となりました)。
アラスカ買収(「セワードの愚行」)
セワードが国務長官だった頃、彼はアメリカがロシアからアラスカを買い取るように働きかけ、1867年にアラスカ買収が実現しました。買収額は約720万ドルで、当時の多くの人々はこの取引を不評にし、「セワードの愚行(Seward's Folly)」や「セワードの氷箱」などと揶揄しました。しかしセワード自身はこの買収を重要な外交的業績と考えており、後に国民がその価値を理解するには時間がかかるだろうと述べたと伝えられています。国務長官として最も重要なことは何かと問われたとき、彼は「アラスカの購入だが、それを知るには国民が一世代かかる」と答えたとも言われます。
晩年と遺産
セワードは1869年に国務長官を辞任し、その後数年のうちに政治活動を退きました。彼の邸宅はニューヨーク州オーバーン(Auburn)にあり、今日ではセワードの功績や遺品を伝える史跡・博物館として保存されています。アラスカ買収は後に自然資源や戦略的価値が注目され、セワードの先見の明が評価されるようになりました。1872年10月10日に死去しましたが、アメリカ外交史および領土拡大の歴史における重要人物として記憶されています。
関連項目や詳細を知りたい場合は、セワードの伝記や南北戦争期の外交史、アラスカ買収に関する文献を参照してください。