定言命法とは カントの範疇命令の定義と仮言命法との比較や具体例

哲学者インマニュエル・カントが提示した倫理学上の中心概念の一つに「命法(imperative)」があります。カントにとって「命令(命法)」とは、ある行為をすべきだと理性が要求する規範のことです。日常的な例で言えば、喉が渇いたときに水を飲むのは「のどの渇きを止めたい」という目的があるならば合理的に行うべき行為ですが、カントはこのような命令を状況に依存するものと区別しました。

仮言命法(hypothetical imperative)とは

仮言命法(かげんめいほう)は「もし〜したければ、〜せよ」という形で表される条件付きの命令です。実践上の欲求や目的に応じて行為を正当化する規範であり、たとえば「のどが渇いているなら水を飲め」は典型的な仮言命法です。仮言命法は目的や状況が変われば従うべき内容も変わるため、カントはこれを道徳の基礎にはできないと考えました。

定言命法(categorical imperative)とは

定言命法(ていげんめいほう、categorical imperative)は条件に依らない無条件の命令で、「いつでもどのような状況でも〜すべきだ」という形を持ちます。カントによれば道徳的行為はこの定言命法に従うべきであり、その核心には理性による普遍性と尊厳の原理があります。代表的な定言命法の表現には以下のようなものがあります。

  • (普遍化の定式)「自分の行為の格率(マキシム)を、あなたがそれに従って行動する全ての人にとって普遍的な法則としても望めるように行為せよ。」
  • (人格の定式)「人間及び理性を持つ存在を、手段としてではなく常に同時に目的として扱え。」
  • (王国の目的の定式)「あなたの行為の格率が普遍的な法則となったときに成立する法の下で、あなた自身が立法者であるかのように行為せよ。」

格率(マキシム)と道徳判断の手続き

カントは、私たちが行為を行うときに持つ「自分がそうする理由」を格率(マキシム)と呼びます。道徳的に正しいかどうかを判断する手順は次のようになります。

  • 自分の行為の格率を明確にする(何をしようとしているか、その理由は何か)。
  • その格率を普遍化しても矛盾が生じないかを検討する(普遍化のテスト)。
  • 他者を単なる手段として扱っていないか、人格として尊重しているかを検討する。

カントは、行為の道徳性は主に「なぜその行為をするのか」という意図(動機・意志)に基づくと考え、結果(帰結)だけで道徳性を決定すべきではないと主張しました。

喉の渇いた男の例(具体例の整理)

男は一晩一人で部屋に閉じ込められ、水のボトル以外は何も持ってきていませんでした。その男は一日中何も飲まずにいて、とても喉が渇いています。仮説的な命令は、「のどが渇いた男は、のどが渇くのを止めたいなら、水を飲まなければならない」ということかもしれません。もし「のどが渇いた男」がこの仮定の命令に基づいた格率を持っていたとしたら、「のどが渇いているときはいつでも水を飲む」ということになるかもしれません。

ここまでの段階では、のどの渇いた男の行為は仮言命法に従った合理的な行動であり、必ずしも道徳的ジレンマを含んでいません。ところが状況が変わります:

数分後、二人目の男が部屋に連れてこられた。二人とも一晩中部屋にいることと、朝まで誰も戻ってこないことを告げられた。喉の渇いた男はまだ水筒を開けていない。二人目の男は何日も何も飲まずにおり、明らかに脱水で瀕死の状態です。すぐに水を与えられなければ彼は死ぬだろう。

のどの渇いた男は、自分で水を飲むか、瀕死の男に分け与えるかを選ばねばなりません。ここでカントの定言命法の観点を用いると、単なる「渇きを癒すために飲む」という格率だけでなく、普遍化や人格の尊重という観点からどちらが義務であるかを検討します。のどの渇いた男が「他者を自分が望まれるように扱うべきだ(黄金律に近い発想)」という格率、あるいは「他人を目的として扱う」ことを採用しているなら、瀕死の男に水を与えることが義務だと結論づけるでしょう。

のどが渇いた男は瀕死の男に水を渡す。瀕死の男はほぼボトル全体を飲み干したが、最後の一口で窒息してしまう。のどが渇いた男が窒息を止めるために出来ることはなく、瀕死の男は亡くなってしまう。

この物語は、道徳判断が単に結果の善悪だけで決まるのではなく、行為者の意図や採用した格率が重要であるというカントの主張を示しています。同時に、結果が悲劇的であっても、適切な道徳原理に基づいて行動したかどうかが評価の中心になるという点を提示します。

カント倫理学の要点と批判的視点

カント倫理学の主要点は次の通りです:

  • 道徳的義務は理性に基づく普遍的な法則(定言命法)によって定まる。
  • 行為の道徳性は動機(善意志)に重きを置き、結果主義(帰結だけで評価する)を否定する。
  • 他者を単なる手段として扱ってはならず、常に目的として尊重すべきである(人格の尊重)。

一方で批判や異論も多いです。功利主義の立場からは「結果の総和で最大幸福を追求するべきだ」として、カントの意図重視を批判します。また、ある格率を普遍化したときに生じる矛盾の判定や、極端な状況でどの行為が義務にかなうのかについての運用性(応用の難しさ)も指摘されています。さらに、「格率の選び方自体」に正当性基準を与える問題や、複数の義務が衝突したときの解決法も議論の対象です。

まとめと参考

カントの定言命法は、条件に依存しない普遍的な道徳法則を示すものです。仮言命法は目的志向の実践理性に関する規範であり、日常の多くの行為を導きますが、カントは道徳の根拠としては不十分だと考えました。格率(マキシム)を明確にし、それを普遍化できるかどうか、そして他者を目的として扱っているかを検討することが、カント的な道徳判断の中心です。

より深く学びたい場合は、カントの主著(例えば『実践理性批判』や『道徳形而上学の基礎づけ』)や、定言命法・仮言命法に関する解説書・入門書を参照すると理解が進みます。

質問と回答

Q:定言命法とは何ですか?


A:定言命法とは、イマニュエル・カントが提唱した考え方で、道徳的な選択は状況に関係なく普遍的な法則に基づくべきであるというものです。つまり、倫理的な判断は、私たちに伝えられた規則や法則に基づくのではなく、論理と理性に基づくべきだということです。

Q: 仮説的命題とは何ですか?


A: 仮言命法とは、カントが定言命法の倫理についての考えを説明するために用いた例です。喉が渇いたときに水を飲むなど、ある目的を達成するために人がしなければならないことを指します。通常、道徳的な選択をすることは伴わない。

Q:格言とは何ですか?


A:格言とは、私たちが何をしたいのか、そしてなぜそれをしたいのかを一文で表す別の方法である。カントによれば、私たちが意思決定をするときはいつも格言を使い、定言命法のテストと照らし合わせれば、格言は私たちが倫理的な意思決定をするのに役立つという。

Q:カントは定言命法に従うことについての自分の考えをどのように説明したのでしょうか?


A:カントは、「格言」と呼ばれるもう一つの考えを導入することで、定言命法に従うことについての自分の考えを説明しました。彼は、もし私たちが決断を下すときに格言を使い、定言命法のテストに照らし合わせてテストするならば、格言は私たちが倫理的な生活を送るのを助けることができると言ったのです。

Q:格言はどのように私たちが倫理的な格言を学ぶのを助けることができるのでしょうか?


A:格言は、私たちが意思決定をする際に定言命法のテストを適用することによって、倫理的な格言を学ぶのに役立ちます。これにより、私たちの決定が普遍的法則に従っているか否かを判断し、倫理的に正しいか否かを判断することができるようになります。

Q:渇いた男の格言は何だったのか?


A:渇いた男の最大公約数は、"できることなら、喉が渇いたときにはいつでも水を飲みたい "というものだった。しかし、この格言は、カントの定言命題の考えに従って、すべての状況に対して普遍的に充足されるというテストに対して失敗したので、彼は別の格言を採用した。"もしその人が私の持っているものを私が必要としているよりもずっと必要としているなら、私は出会った人に何でも与える。"というものである。

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