パキスタン制憲議会の歴史(1947–1956):ジンナー、目的決議と1956年憲法
1947–1956年のパキスタン制憲議会の軌跡をジンナー、目的決議、1956年憲法成立まで詳述。政治的闘争と法制度の変遷を分かりやすく解説。
1947年8月10日、パキスタン初の議会であるパキスタン制憲議会が初めて開催された。翌日、ムハンマド・アリ・ジンナー(1876–1948)が議長に選出され、新しい国旗が承認された。1947年8月14日、ジンナーは演説を行い、独立したパキスタンの将来の政府の重要な原則を説明した。ジンナーはパキスタンの初代総督に選ばれた。議会の主な任務は、パキスタンの新憲法を作成することであった。
これは困難な作業でしたが、1949年3月12日に「目的決議」に合意しました。憲法制定議会の24人のメンバーからなる特別委員会は、「目的決議」の考えに基づいて憲法の制定に取り組んだ。1954年10月24日、総督であるグラム・ムハンマドは、憲法草案が提出される前に議会を閉鎖しました。議会の議長は、議会の閉鎖は違法であると考え、法的措置を取りました。彼は連邦裁判所で敗訴した。
1955年5月28日、パキスタンの第二回制憲議会が結成されました。彼らは新憲法を作成し、1956年3月23日に発効しました。
目的決議(Objectives Resolution)の意義
1949年に採択された「目的決議」は、パキスタンの将来の憲法作成における基本方針を示す決議でした。主な内容は以下のとおりです。
- 主権の源泉:主権は神(アッラー)に属するとし、統治権はその下で行使されるべきであると宣言した。
- イスラームの原則:国家運営においてイスラームの価値観と教えを尊重することを打ち出した。
- 少数派の権利:宗教的・文化的少数派の基本的権利と市民的自由を保護することが明記された。
目的決議は形式的には暫定的な指針でしたが、その後の憲法にも大きな影響を与え、1956年憲法では前文(序文)的な位置づけとなりました。
議会閉鎖と司法審理の影響
1954年10月、総督グラム・ムハンマドによる初代制憲議会の解散は、憲法制定プロセスに大きな混乱を招きました。議会側(議長ムラヴィ・タミズッディン・カーン)は解散を不服として連邦裁判所に訴えましたが、裁判所は最終的に議会閉鎖を認める判断を下しました。この裁判の判決は、行政の強い介入を事実上容認する結果となり、議会主導の民主的プロセスを弱める判例になりました。以降、司法・行政間の力関係や非常事態論(necessity doctrine)の適用がパキスタン政治に与える影響が問題視されるようになります。
第二回制憲議会と1956年憲法の成立
1955年5月28日に結成された第二回制憲議会は、先の混乱を引き継ぎつつ新たな憲法づくりを進めました。1956年3月23日には新憲法が公布・発効し、いくつかの重要な変更が行われました。
- 共和国の成立:パキスタンは「イスラーム共和国」としての地位を宣言し、総督の制度を廃して国家元首の性格を改めた。
- 議会制の採用:議院内閣制(パーラメンタリー・システム)を基本とする体制が採られ、首相が政府の長となった。
- 目的決議の位置付け:1949年の目的決議は憲法の指導原則として取り入れられ、イスラーム的価値観を法体系に反映させる基礎となった。
しかしながら、1956年憲法の施行後も政治的対立や行政の関与は続き、安定した民主主義の定着には至りませんでした。1950年代後半からの政治的混乱は、のちの憲政危機や軍の介入につながっていきます。
簡潔な年表
- 1947年8月10日:初の制憲議会が招集
- 1947年8月11日:ジンナーが議長に選出
- 1947年8月14日:ジンナーの独立演説(総督として)
- 1948年:ジンナー死去(憲法制定の最大の指導者を失う)
- 1949年3月12日:目的決議採択
- 1954年10月24日:総督による議会閉鎖(裁判へ)
- 1955年5月28日:第二回制憲議会結成
- 1956年3月23日:新憲法発効(パキスタン共和国成立)
この期間(1947–1956)は、独立直後の国家建設期における理念の整理と、権力分立や行政と司法の関係が試行錯誤された時代でした。目的決議と1956年憲法はパキスタンの政治的・法的枠組みを形作る重要な節目となりましたが、その後の政治的不安定さが示すように、憲法の理念を実際の政治運営に定着させることは容易ではありませんでした。
質問と回答
Q: パキスタン立憲議会とは何だったのですか?
A: パキスタン立憲議会は、1947年8月10日に開催されたパキスタン初の議会です。
Q: 議会議長には誰が選ばれたのですか?
A: ムハンマド・アリー・ジンナー(Quaid-i-Azam Muhammad Ali Jinnah)が大統領に選出されました。
Q: 議会の主な任務は何でしたか?
A:パキスタンの新しい憲法を制定することが主な任務でした。
Q: 「目的別決議」とは何ですか?
A: 「目的決議」は、1949年3月12日に議会で合意された文書で、新しい憲法の基礎となる原則を概説したものです。
Q: なぜパキスタンの第2回憲法制定議会が開かれたのですか?
A: 第2回パキスタン憲法制定議会は、第1回議会が憲法草案を提出する前に総督府によって閉鎖されたため、結成されました。
Q: 初代パキスタン総督には誰が選ばれたのですか?
A: クァイド=イ=アザム ムハンマド・アリー・ジンナーが初代パキスタン総督に選ばれました。
Q: 新憲法はいつ施行されたのですか?
A:パキスタンの第2回制憲議会によって書かれた新しい憲法は、1956年3月23日に施行されました。
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