デ・ハビランドDH.106コメット:世界初の量産民間ジェット機の歴史と事故
デ・ハビランドDH.106コメットの誕生から設計欠陥・致命的事故、再設計までを詳述。世界初量産民間ジェットの栄光と教訓を紐解く歴史記録
デ・ハビランドのDH 106コメットは、最初の量産型民間ジェット旅客機でした。アヴロ・チューダーとヴィッカースVC.1バイキングにロールス・ロイスのネネネターボジェットが搭載されていました。それは以前にも飛行していましたが、実験的なモデルでした。このジェット機は、イギリスのハートフォードシャーにあるハットフィールド飛行場の本社で、デ・ハビランド社によって製造されました。プロトタイプは1949年7月27日に初飛行しました。空力的にクリーンなデザインで、4基のデ・ハビランド・ゴースト・ターボジェット・エンジンを主翼に搭載していました。胴体は加圧されていました。ジェットには大きな四角い窓がありました。1952年のデビュー時には商業的成功の兆しを見せました。
設計の特徴と運航上の利点
初代コメットは、当時のプロペラ旅客機に比べて格段に速く、より高い巡航高度で快適に飛行できることが最大の強みでした。胴体加圧と滑らかな外形により、騒音や振動が少なく、乗客にとっては「より快適な環境で」の移動が可能でした。機体の長さは初期型で後の代表的な小型ジェット機であるボーイング737-100とほぼ同等で、当時の同クラス機としては十分な機内空間を確保し、通常は約36~44名程度を運航できました。
コメットは高巡航速度を活かして長距離航路での運航時間短縮に成功し、1953年8月にはBOACがコメットを使ってロンドン—東京間を従来より大幅に短縮したスケジュールを組んだことが記録されています。皇室をはじめとする要人輸送にも用いられ、サウジアラビア国王向けに特別仕様で発注された機体は「世界初のエグゼクティブジェット機」と評されるほどでした。
重大事故と原因究明
しかし1954年に入ると、コメットは連続する重大事故に見舞われ、就役中に13回の致命的な墜落事故で計426名の死者を出すという深刻な事態になりました。1954年1月10日には初号機が空中分解して地中海に墜落し、乗員乗客全員が死亡しました。同年4月8日にもチャーター便がナポリ近郊の地中海に墜落し、乗員乗客全員が死亡する事故が発生しました。
これらの事故を受けて、コメットは一時的に運航を停止され、徹底した調査が行われました。海底から引き揚げられた残骸や地上試験によって、最大の原因は「胴体の繰り返される加圧・減圧(サイクル)による金属疲労」であることが明らかになりました。特に大型の四角い窓の角部や胴体の継ぎ目(リベット部)に応力の集中が発生し、微小破壊が進展して最終的に爆発的な空中分解を引き起こしたのです。これらの調査は、航空機構造の疲労解析と認証試験のあり方を大きく変える契機となりました。
設計改良と後継機、そして影響
調査結果を受けて、コメットは設計の全面見直しが行われました。窓形状は角のない楕円(丸みを帯びた長丸)に改められ、胴体の板厚の増加や継手・リベットの強化、構造的余裕の拡大などが実施されました。これにより2型、3型、そして1958年に登場した4型では信頼性が向上しましたが、その間にアメリカや他国のメーカーが大型で航続力に優れたジェット旅客機(1957年登場のボーイング707や1960年のダグラスDC-8など)を市場に投入したため、コメットの商業的優位性は失われていきました。
また、コメットの設計と事故調査から得られた知見は、現代航空機の安全基準、疲労試験、設計の安全係数設定、認証手続きなどに深い影響を与えました。コメットの悲劇的な事例は、以後のジェット旅客機開発における「安全第一」の価値観を確立する一助となったと言えます。
その後の運命と遺産
1960年、イギリス航空宇宙産業の再編に伴い、デ・ハビランドはホーカー・シドレーに統合されました。コメットの設計はその後も発展し、一部の機体は改良型として民間・軍用に転用されました。代表的には、コメット4をベースにした航空機が軍用哨戒機として発展し、Nimrod(ナイムロッド)のような派生機が誕生しています。
航空作家のビル・ウィズンは、コメットを「限界を超えた『最先端』を押し出した」と評しています。技術的先駆性と悲劇的な事故の両面を併せ持つコメットは、航空史における重要な里程標です。現存する唯一の完全なコメット1は、RAFコスフォード博物館に展示され、当時の革新と教訓を今に伝えています。
まとめ:DH.106コメットは世界初の量産ジェット旅客機として航空輸送の歴史を塗り替えた一方で、設計上の疲労問題が引き起こした一連の事故により、航空安全技術の進歩を促した機体でもありました。その功績と代償は、現代の航空機設計・試験・認証の基礎を築くうえで決定的な役割を果たしました。
質問と回答
Q:最初の量産型民間ジェット旅客機は何ですか?
A: デ・ハビランド社のDH106コメットが最初の商業用ジェット旅客機です。
Q:このジェット機はどこで作られたのですか?
A: イギリスのハートフォードシャー州にあるデ・ハビランド社のハットフィールド飛行場にて製造されました。
Q: 試作機はいつ飛行したのですか?
A:1949年7月27日に初飛行しました。
Q: アブロ・チューダーとビッカースVC.1バイキングに搭載されたエンジンの型式は何ですか?
A: アブロ・チューダーとビッカースVC.1バイキングは、ロールス・ロイス社のネイン・ターボジェットを搭載していました。
Q:1953年8月、コメットによるBOACのロンドン-東京定期便は、9便で何時間かかりましたか?
A:1953年8月、コメットによるBOACのロンドン-東京定期便(9駅)は36時間かかりました。他の機体では86時間以上かかっています。
Q:彗星原型機の設計上の欠陥が原因で、2型、3型、4型に設計変更されたのですか?
A:彗星原型機の設計上の欠陥として、四角い窓の角に危険な応力がかかっていることが指摘され、2型、3型、4型に設計変更されました。
Q:1960年、イギリスの航空宇宙産業の統合の一環としてデ・ハビランドを買収したのはどこの会社か?A: ホーカー・シドレーが1960年にデ・ハビランドを買収し、イギリスの航空宇宙産業の統合の一端を担いました。
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