イングランド王国、スコットランド王国、アイルランド王国のスチュアート朝の君主であったイングランド王チャールズ2世の子孫は非常に多く、彼の庶子(いわゆる「隠し子」)の系統は今日まで続いています。チャールズ2世は1660年の王政復古以降在位し、公式には嫡出の子を残さなかったため、庶子たちが後の英国貴族社会に大きな影響を与えました。チャールズの妻キャサリン・オブ・ブラガンザ(Catherine of Braganza)は不妊であったが、彼は宮廷内外に多くの愛人を持ち、複数の庶子たちを認知しました。この記事では、チャールズの庶子たちとその主要な子孫、ならびに近現代の王室との繋がりをわかりやすく整理して紹介します。
主要な庶子とその役割・系譜
チャールズ2世は正式に認知した庶子を十数名抱えており、その多くが公爵位や爵位を与えられて貴族社会に組み込まれました。代表的な庶子とその意義は次の通りです。
- ジェームズ・スコット(James Scott, 1st Duke of Monmouth) — 母はルーシー・ウォーター(Lucy Walter)。チャールズの長男格と見なされ、後に王位を主張して1685年のモンマスの乱(Monmouth Rebellion)を起こしましたが失敗し、処刑されました。庶所以外に正統な継承権はありませんでした。
- ヘンリー・フィッツロイ(Henry FitzRoy, 1st Duke of Grafton) — 母はバーバラ・ヴィルジアーズ(Barbara Villiers)。グラフトン家を通じてその子孫は議会や政府で大きな役割を果たし、のちにグラフトン公爵の第3代オーガスタス・フィッツロイ(Augustus FitzRoy)がイギリスの首相を務めるなどしました。
- チャールズ・レノックス(Charles Lennox, 1st Duke of Richmond) — 母はフランス人の愛妾ルイーズ・ド・ケルーユ(Louise de Kérouaille)。リッチモンド家の系譜はスポーツ支援や社交面で知られ、初代チャールズ・レノックスはクリケットのパイオニアともされます。後の世代(第3代チャールズ・レノックスなど)は議会改革や軍事面で活躍しました。
- チャールズ・ボークレアク(Charles Beauclerk, 1st Duke of St Albans) — 母は女優のネル・グウィン(Nell Gwyn)。セント・オールバンズ公爵家も貴族として存在感を示しました。
これらの家系はそれぞれ他の名門家と婚姻を重ね、英国の貴族社会や政治、文化に深く入り込みました。庶子に付けられた姓「FitzRoy」は古フランス語で「王の息子」を意味し、王の庶子に用いられたことでも知られます。
現代王室とチャールズ2世の血筋
ダイアナ妃は、チャールズ2世の庶子であるヘンリー・フィッツロイ(グラフトン公爵家)およびチャールズ・レノックス(リッチモンド公爵家)の子孫の系統に当たるとされます。つまり、ダイアナ妃の血統にはチャールズ2世の血が複数の経路で流れており、そこから生まれた子孫の一人であるあるケンブリッジ公ウィリアム王子が将来イギリスの王位に就くと予想されれば、血縁上はチャールズ2世の子孫ということになります。
ただし重要な点として、歴史法制上は「庶子」は正統な王位継承権を持ちません。つまりチャールズ2世の庶子たちの血を引くことは血統上の事実ではありますが、王位継承の法的根拠にはなりません。現代の王室は姓や王朝としてはウィンザー家の一員とされ(近年は公式には「マウントバッテン=ウィンザー」姓を用いる場合もあります)、王位継承は正統な系譜と法律に従って決まります。
余話と系譜学的意義
チャールズ2世の多くの庶子が貴族として成立したことは、近代英国の貴族社会に大きな影響を与えました。庶子の家系は軍や政界、社交界、文化面で存在感を保ち、18世紀〜19世紀を通じて政治的リーダーや改革者、芸術の支援者を輩出しています。現代においても多くの英国の名家や王族がチャールズ2世の血を引いているため、系譜学的には興味深い研究対象となっています。
まとめると、チャールズ2世の「隠し子」の系譜は現在の英国貴族や王室の血縁に広く影響を与えており、ダイアナ妃やその子孫がその血統を受け継いでいる可能性は高いものの、歴史上の庶子の存在が王位継承の法的地位に変化をもたらすわけではありません。















