ザクセン=コーブルク=ゴータ公国(Duchy of Saxe-Coburg and Gotha、ドイツ語:ザクセン=コブブルク・ウント・ゴータ公国)は、19世紀に存在したドイツの二重君主制(personal union)国家の一つです。これは一人の公(デューク)が別個の二つの公国、すなわちコーブルク(Coburg)公国とゴータ(Gotha)公国を同時に統治したことを意味します。「ザクセン(Sachsen)」という名前は、エルネスティン(ヴェッティン家のエルネスティン系)に属する多くの小国(ザクセン=○○公国)をまとめて指す呼び名で、これらは同族ヴェッティン家の分家によって統治されていました。ヴェッティン家は中欧に長く影響を及ぼした貴族家系であり、複数の小国を支配していました(ヴェッティンは一族の姓です)。

成立の経緯(1826年の再編)

1826年、旧来のザクセン系公国間で領地の再編が行われ、ザクセン=コーブルク=ゴータ公国が成立しました。これは、ウェッティン家の一つであるザクセン・ゴータ・アルテンブルク公爵家が男子の直系を失って断絶したことをきっかけに起きた相続・再分配によるものです。残されたヴェッティン家の分家がそれぞれの領地を振り分ける中で、ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公爵はザールフェルト(Saalfeld)を放棄して代わりにゴータ公国を取得し、新たに二領を統べる体制が生まれました。ザールフェルトはザクセン=マイニンゲン領となり、またザクセン=ヒルトブルグハウゼン公爵がザクセン=アルテンブルク公爵に転じた際にヒルトブルグハウゼンも移動しました。

具体的には、1826年11月12日、ザクセン=コブルク=ザールフェルトのエルンスト3世は、エルンスト1世ザクセン=コブルク・ゴータ公、ユーリッヒ公、クレヴェス公、ベルク公、エンゲルン公、ヴェストファーレン公、リヒテンベルク公、チューリンゲン公、マイセン公、ヘンナーベルク伯、マルク伯、レーベンスブルク公、レーベンシュタイン公、トンナ公となりました。

統治形態と主要な拠点

ザクセン=コーブルク=ゴータはあくまで「二領を持つ一つの君主」による個人連合であり、両公国は行政や財政、立法機関(州議会)をそれぞれ独立して保持していました。ただし、公爵の外交面や家門(王家)としての身分、称号は共通しており、同一の公爵が両方の公国を代表しました。主要な居城(公邸)はゴータのフリーデンシュタイン城(Schloss Friedenstein)やコーブルクのエーレンブルク城(Schloss Ehrenburg)などで、公爵は両地を行き来して治務を行いました。

英王室との関係

エルンスト1世(Ernst I)には二人の息子がおり、次代の当主となったのは長子のエルンスト2世(Ernst II)でした。下の息子であるアルバートは、のちにいとこにあたるイギリスのヴィクトリア女王と結婚(1840年)し、英国王室と密接な血縁関係をつくりました。アルバート公の存在によって、ヴィクトリア女王の子孫は直系男子がヴェッティン家(コーブルク系)となり、結果的に英国王室の王朝名にも影響を与えます。

実務的には、ヴィクトリア女王の在位中は王朝名の扱いは複雑でしたが、女王の死後に即位した息子エドワード7世(1901年即位)から、王家の男系が明確にサクソ=コーブルク=ゴータ(Saxe-Coburg and Gotha)家に属することが広く認識され、英王室の王朝名として用いられるようになりました。しかし第一次世界大戦中の反独感情を背景に、1917年にジョージ5世が王朝名をイギリス風の「ウィンザー(Windsor)」に改め、以後現在に至るまでその名が用いられています。

終焉とその後(第一次世界大戦以降)

第一次世界大戦とそれに続くドイツ国内の革命(1918年)により、ドイツの君主制は次々と廃止され、ザクセン=コーブルク=ゴータの公爵も1918年に退位しました。君主制の崩壊後、両地域は共和的・地方的な再編の対象となり、最終的にコーブルク側はバイエルン王国(後のバイエルン自由州)へ合流し、ゴータ側は複数の旧ザクセン諸公国とともにトゥーリンゲン(テューリンゲン)自由州の一部となりました(1920年代初頭の整理による)。

歴史的意義

  • ザクセン=コーブルク=ゴータは、19世紀ヨーロッパにおける王家間の婚姻と世襲のネットワークがどのように国家や王朝名に影響したかを示す典型例です。
  • 英王室とのつながりにより、同公国の人物や文化的影響は国際舞台でも注目されました(例:アルバート公の影響による産業振興・博覧会等)。
  • 第一次大戦後の領土再編と民族・政治意識の変化が、19世紀に成立した小諸侯制国家の終焉を早めたことを象徴します。

以上がザクセン=コーブルク=ゴータ公国の概要と、その成立・運営・英王室との関係、さらには第一次世界大戦後の運命の概観です。