ハライブ三角地帯とは:エジプト・スーダン領有権紛争の概要と地理
ハライブ三角地帯(Hala'ib Triangle)は、アラビア語でمثلث حلايب(Muthāllath Ḥalāʾib)と呼ばれる、紅海のアフリカ沿岸に位置する約20,580平方キロメートル(約7,950平方マイル)の地域です。名称は沿岸部の町ハライブ(Hala'ib)に由来します。境界線の扱いに関する歴史的な決定が原因で、エジプトとスーダンの間で領有権を巡る対立が続いています。
地理的特徴
ハライブ三角地帯は厳密な三角形ではなく、複雑な多角形状をしています(南部にある約290キロの区間のみが直線です)。沿岸部は紅海に面し、砂漠地帯・山地・沿岸平野などが混在します。地域内にはハライブのほか、シャラティーン(Shalateen)、アブーラマド(Abu Ramad)などの集落があり、漁業や都市的な生活の場も存在します。土地の内陸側には砂漠地帯が広がり、遊牧や小規模農業に従事する住民もいます。
歴史と境界線の背景
問題の根底には、19世紀末から20世紀初頭にかけて英国主導で定められた二つの境界線の差異があります。1899年にアングロ・エジプト・コンドミニアムが設定した「政治的境界」は北緯22度線(22°N)で、これに基づけばハライブ三角地帯はエジプト側に入ります。一方、1902年に現地事情を踏まえて定められた「行政的境界」では、部族分布や行政利便性を理由に一部区域の帰属が入れ替えられ、ハライブ地域が当時はスーダン側の行政下に置かれることになりました。
主張の対立(法的根拠と立場)
- エジプト側の主張:1899年の政治的境界(22°N)を根拠に、ハライブ三角地帯はエジプト領であると主張します。これにより紅海沿岸の戦略的・経済的価値を強調しています。
- スーダン側の主張:1902年の行政的境界の取り扱いを根拠に、ハライブ地域は歴史的にスーダンの管轄下にあったと主張します。
両国の主張は排他的であり、どちらか一方の境界線を採用するともう一方の主張と矛盾するため、地域内外で法的・外交的な緊張が続いています。
現状(支配と行政)
1990年代以降、エジプトはこの地域に軍事部隊を派遣し、行政的に実効支配を強めてきました。現在はエジプト側が事実上の支配を続け、道路や医療・教育施設、港湾やインフラへの投資も行われています。エジプトはハライブ三角地帯を紅海総督府の一部として扱い、現地住民への行政サービス提供を進めています。一方、スーダンは領有権を放棄しておらず、外交交渉や国際舞台での主張を続けています(双方の主張に関して国際的に決着がついたわけではありません)。
経済・社会・資源
沿岸部は漁業が中心で、紅海南部への海上アクセスという戦略的価値も高い地域です。また、近年は鉱物資源(特に金や鉱床の可能性)や観光資源の開発の話題もあり、両国による投資の動機になっています。住民は伝統的に遊牧や漁業、地域間交易に従事する部族が多く、行政の変化が生活に影響を与えています。
ビル・タウィル(Bir Tawil)の特殊性
ハライブ三角地帯に隣接する小さな地域、ビル・タウィル(Bir Tawil)は、上述の二つの境界線の差異の結果として興味深い法的地位にあります。ある境界線を採るとハライブが一国の領有になり、もう一方を採るとハライブは相手国の領有になるため、両国はビル・タウィルの帰属を積極的に主張していません。そのためビル・タウィルは国際的には事実上の「無主地(terra nullius)」とされ、過去に個人や小集団による象徴的な領有宣言が行われたことがあります。
国際的視点と今後の見通し
国際法上の明確な決着はなく、現状は事実上のエジプト支配とスーダンの抗議という構図が続いています。両国間での交渉や第三者仲裁、あるいは国際裁判所(ICJ)への提訴といった解決手段が考えられますが、地域の戦略的価値や資源の利害が絡むため簡単な解決は期待できません。今後は以下のような要素が注目されます:
- 両国の外交関係の進展・悪化
- 現地に対する投資やインフラ整備の動向
- 国際社会(特に関係国や国際機関)の関与のあり方
補足:エジプト国内では、ハライブ三角地帯を「スーダン政府管理区域」または「SGAA」と呼ぶことがある、という呼称の流通が見られます。地形や行政区画の特殊性、そして隣接するBir Tawil)の無主地性は、この地域を国際政治・法的議論においてしばしば取り上げられる理由です。1956年のスーダン独立以降、領有権問題は繰り返し外交課題となってきました。
質問と回答
Q: ハライブ・トライアングルとは何ですか?
A: ハラブ・トライアングルは紅海のアフリカ沿岸に位置する20,580平方キロメートルの陸地です。
Q: ハラブ・トライアングルはどのようにして作られたのですか?
A: ハラブ・トライアングルは、1899年にアングロ・エジプシャン・コンドミニアムによって定められた、北緯22度線を通る「政治境界線」と、1902年にイギリスが定めた「行政境界線」の違いによって、エジプトとスーダンの国境にできたものです。
Q: 1956年にスーダンが独立した後、ハライブ・トライアングルの主権を主張したのはどちらですか?
A: 1956年にスーダンが独立した後、エジプトとスーダンの両方がハライブ・トライアングルの領有権を主張しています。
Q: 1990年代、エジプトはなぜハライブ・トライアングルに軍事部隊を派遣したのでしょうか?
A: エジプトは、1995年のムバラク大統領暗殺未遂事件をきっかけに、アフリカにおけるエジプト政府の存在感を高めるため、1990年代にハライブ・トライアングルに軍事部隊を派遣しました。
Q: 現在、ハライブ・トライアングルを支配しているのは誰ですか?
A:エジプトが紅海総督府の一部としてハライブ・トライアングルを支配し、積極的に投資しています。また、アラブ首長国連邦もエジプトとともにこの地域に積極的に投資しています。
Q:ハライブ・トライアングルは、実際に三角形なのですか?
A:この地域は三角形ではなく、複雑な多角形をしています。南側の290kmの境界線だけが直線です。
Q: ハラブ・トライアングルの最西端に接する小さなエリアは何と呼ばれていますか?
A: ハライブ・トライアングルの最西端に接する小さな地域はビル・タウィルと呼ばれ、スーダンにもエジプトにも領有権を主張されていません。