Harold "Mum" Mummery(1889年8月25日 - 1945年12月9日)は、プロのアイスホッケー選手で、ポジションはディフェンスマン、シュートはレフト。イリノイ州シカゴで生まれ、MB州ブランドンで亡くなりました。1911年から1923年までのプロキャリアで、当時の主要リーグで活躍し、ナショナル・ホッケー・リーグ(NHL)ではトロント・ブルーシャツ、トロント・アリーナ、ケベック・ブルドッグス、モントリオール・カナディアンズ、ハミルトン・タイガースなどでプレーし、スタンレーカップで2度の優勝を果たしています。
経歴の概略
マメリーはプロ初期の氷上選手の一人として知られ、その幅広い活動範囲と体格で注目を集めました。リーグやチーム移籍が盛んだった時代に、複数の強豪クラブでプレーし、チーム防御の要として貢献しました。以下は主な所属チームと特徴です。
- トロント・ブルーシャツ / トロント・アリーナ(トロントを拠点とするクラブ)
- ケベック・ブルドッグス(スタンレーカップ優勝に絡む中心チームの一つ)
- モントリオール・カナディアンズ(伝統ある強豪クラブ)
- ハミルトン・タイガース(後期に在籍)
プレースタイルと身体的特徴
当時の資料によれば、NHL在籍時の体重は約245ポンド(約111kg)と非常に恵まれた体格で、フィジカルの強さを武器に守備で存在感を示しました。試合前にステーキを2枚食べる習慣があったとされ、これが話題となって体格と相まって「パワフルなディフェンスマン」という印象を残しました。ニックネームの「マム(Mum)」は名字の愛称的な呼び名から来ていると考えられていますが、由来の詳細は資料によって異なります。
ゴールテンダーとしての出場
マメリーは通常ディフェンスを務めましたが、当時はチームが常時バックアップのゴールテンダーを帯同しないことが一般的でした。そのため、負傷や交代の際にスケーターが急遽ゴールに入ることがあり、マメリーはそのようなケースで合計3試合、ゴールテンダーとして出場しています。出場はケベックで2試合、ハミルトンで1試合で記録されており、スケーターとしては当時最多級のゴールテンダー出場経験を持つ選手の一人です。
私生活と晩年
故郷はイリノイ州シカゴですが、その後カナダを拠点に生活する期間が長く、最終的にはMB州ブランドンで生涯を終えました。引退後の詳細な活動記録は限られていますが、初期プロリーグでの貢献と珍しいエピソード(大食いの習慣や緊急時のゴール守備など)は、ホッケー史の一部として語り継がれています。
評価とレガシー
マメリーはその巨体と頼りになる守備力、そして状況に応じてゴールを守る柔軟性で知られます。プロ初期の混沌とした時代に複数クラブで優勝を経験したことから、当時のチーム作りやリーグ運営の一端を知る上で興味深い選手です。現在でも初期NHL/NHA期の興味深い人物の一人として、ホッケー史に名前を残しています。
(注)本項では既存の記録・資料に基づき一般的な経歴と逸話をまとめていますが、当時の記録は断片的であるため、細部の年次や由来については資料により異なる場合があります。