アンリ2世、バイエ=ラトゥール伯爵(1876年3月1日 - 1942年1月6日)は、ベルギーの貴族で、国際オリンピック委員会(IOC)の第3代会長を務めた人物である。1925年から1942年の死去まで続いた在任期間は、近代オリンピック運動が発展する一方で、ヨーロッパで政治的緊張が高まった激動の時期と重なった。
背景
バイエ=ラトゥールはベルギー貴族の家に生まれ、祖国では有力な社会的地位を保っていた。同時代の記録では、保守的なカトリック教徒であり、スポーツ界における継続性と伝統を重んじる人物として描かれている。ベルギーの公的機関やスポーツ団体に関わり、生涯を通じてブリュッセルを拠点とした。
オリンピック運動での役割
彼はピエール・ド・クーベルタンの後任として会長に就任し、戦間期のIOCを導いた。彼の指導の下で、オリンピック競技大会はアムステルダム(1928年)、ロサンゼルス(1932年)、ベルリン(1936年)で開催された。バイエ=ラトゥールはスポーツと政治を切り離すべきだと主張し、国際的な緊張が高まるなかでも、オリンピック運動の自律性と儀礼を守ろうとした。
その在任期には、組織としての統合が進む一方で、政府の介入によりIOCの影響力に限界があることも明らかになった。第二次世界大戦の勃発により、1940年と1944年に予定されていた大会は中止され、彼が率いた組織は混乱に見舞われた。
論争と遺産
1936年ベルリン大会への対応や、権威主義体制との関係をどう扱ったかは、歴史的な議論の対象となっている。批判者は、彼が政治的中立を強調したことで大会が宣伝に利用されるのを許したと主張する。一方で擁護者は、オリンピック憲章と国際スポーツの継続を守ろうとした点を重視する。死後、IOCの指導部は後継者に引き継がれ、戦後復興という課題に直面した。
- フルネーム: Henri II de Baillet-Latour。
- 生没年月日: 1876年3月1日生まれ、1942年1月6日没(ブリュッセルで心臓発作と報告)。
- 役職: IOC第3代会長(ピエール・ド・クーベルタンの後任)。しばしば第3代会長と表記される。
- 国籍: ベルギー人。
評価は分かれるものの、バイエ=ラトゥールは、1920年代から1930年代にかけてIOCが複雑な政治状況をどう乗り切ったかを理解するうえで中心的な人物であり、オリンピック運動を20世紀半ばへつないだ制度的継続性を示す存在でもある。