反精神医学とは 定義・歴史・1960年代の運動と主要人物(フーコー・デビッド・クーパー)

反精神医学として知られるようになった精神医学のある実践に疑問を呈する社会的・政治的な運動は複数の系譜をもっています。ある流れは1789年のフランス革命期にまでさかのぼり、ロマン主義的な人間観や個人の自律を重視する思想の影響を受けました。別の流れは1900年頃のドイツでの精神医療や施設制度に対する批判に端を発します。三つ目の大きなうねりは1960年代におけるアメリカヨーロッパでの運動で、ここでは従来の医学モデルや病院中心の管理を明確に問い直しました。特に、この時期の運動は、統合失調症を医学的に一律の「精神疾患」として扱うことへの疑問、精神科病棟における拘束や隔離、ラベリング(診断名付与)による社会的排除の問題点を浮き彫りにしました。

定義と基本的な主張

「反精神医学」は単一の統一理論ではなく、多様な主張を含む集合的な運動です。主な論点は次の通りです。

  • 精神疾患の概念は客観的な自然分類ではなく、文化的・政治的文脈に依存する(診断は権力関係を反映する)ことを指摘する。
  • 精神科病院などの制度は患者を治療するよりも管理・隔離する役割が強く、被治療者の人権を侵す場合があることを問題視する。
  • 薬理的治療や長期入院のみを中心とするアプローチは、生活環境や社会的関係、経済的要因を無視しがちであると批判する。
  • 精神障害を抱える人々自身の声(患者運動、サバイバー運動)を重視し、強制治療に反対する権利擁護を訴える。

1960年代の運動と主要人物

1960年代は反精神医学が大きく注目を浴びた時期です。次の人物が代表的です。

  • ミシェル・フーコー:フーコーは精神医学を直截に「運動」として主導した活動家ではありませんでしたが、歴史的・哲学的な批判を通じて大きな影響を与えました。代表作は『狂気と文明――古典的時代の狂気の歴史』(Histoire de la folie à l'âge classique)(1961)で、狂気がどのように「隔離」され、社会秩序と繋がってきたかを権力/知識の観点から分析しました。フーコーは精神医学の制度的機能と社会的効果に光を当てました。
  • デビッド・クーパー:南アフリカ出身の精神科医で、1967年に「anti-psychiatry(反精神医学)」という語を用いて本格的に運動の名付けに関与しました。クーパーは精神医学を批判し、ときに既存の精神医療体制の解体や脱施設化を主張しました(編集・著作例に『Psychiatry and Anti-Psychiatry』など)。
  • R. D. Laing:イギリスの精神科医で、『The Divided Self』(1960)や『Sanity, Madness and the Family』(1964、共著)などで知られます。ラングは精神障害を個人の内面的な病理だけでなく、家族関係や社会的状況の産物として理解しようとし、患者の主観的経験を重視しました。
  • Thomas Szasz:アメリカの精神科医・批評家で、『The Myth of Mental Illness』(1961)において「精神病」という概念自体が神話であり、医学的疾病として扱うことに反対する立場を取った点で反精神医学と重なる主張を展開しました(ただしSzaszは精神医療制度の完全否定と個人の自由の擁護を強調した独自の立場)。
  • フランコ・バザリア(Franco Basaglia):イタリアの精神科医で、精神病院の閉鎖と地域ケアへの移行を推進し、1978年の「Law 180(バザリア法)」に繋がる運動を主導しました。イタリアにおける脱施設化の象徴的存在です。

具体的な活動と成果

1960年代以降、反精神医学の影響で次のような変化が生じました。

  • 脱施設化(deinstitutionalization):大規模精神病院から地域ベースのケアへ移行する動きが進み、特にイタリアや一部の欧米諸国で制度改革が行われました。
  • 患者運動の台頭:精神障害を持つ当事者自身やその支援者による権利要求運動が活発化し、強制入院や強制薬物投与に対する法的・倫理的議論が生まれました。
  • 学術的影響:精神医学の診断概念や臨床実践、家族療法や対人関係療法など「薬物中心ではない」治療法の発展に影響を与えました。

批判と限界

反精神医学は多くの重要な問いを投げかけましたが、以下のような批判や限界も指摘されています。

  • 生物学的要因の軽視:統合失調症などにおける遺伝的・神経生物学的な要因や薬物療法の有効性を過小評価する傾向があるとの批判があります。
  • 実用面での課題:脱施設化が進んでも地域支援の資源が不足すると、ホームレス化や刑罰制度への移行といった新たな問題を引き起こすことがありました。
  • 一部過激な主張への反発:精神医療制度の全面的否定や一律の解体を唱える立場は、重度の症状を持つ人への保護的介入を完全に否定することになりかねないという懸念があります。

現代への遺産

反精神医学の影響は今日の精神保健政策や臨床実践に色濃く残っています。診断と治療をめぐる倫理的議論、患者の自己決定権やインフォームド・コンセントの重視、共同意思決定(shared decision-making)や回復志向(recovery-oriented)ケア、そして強制措置や拘束の制限を求める運動は、反精神医学が提起した問題と連続しています。一方で、生物学的研究や薬物療法の発展と反精神医学的批判とのバランスをとることが現在の課題です。

参考として、1960年代の運動における主要文献にはフーコーの著作やラングやサズの著作、クーパーの編集した論集などがあり、これらはいずれも精神医学の理論的・実践的な側面を再検討する契機となりました。

最後に、反精神医学は一括りにできる運動ではなく、多様な立場と戦略を含むことを念頭に置いてください。制度批判と患者の権利擁護という視点は今日も重要であり、同時に個々の臨床的ニーズに応じた実証的な治療法との対話が求められています。

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質問と回答

Q: 反精神医学とは何ですか?


A: 反精神医学とは、精神医学のある種の実践に疑問を投げかける社会的・政治的な運動です。

Q: 最初の反精神医学運動はいつ起こったのですか?


A: 最初の反精神医学運動は1789年のフランス革命に端を発し、ロマン主義的な思想に影響されていました。

Q:第二次反精神医学運動はいつから始まったのですか?


A: 第2次反精神医学運動は、1900年頃にドイツで始まりました。

Q: 第3次反精神医学運動の焦点は何だったのですか?


A: 第3次反精神医学運動の焦点は、統合失調症が精神医学によって治療されるべき精神疾患であるという分類に疑問を呈し、精神科病棟のある種の問題点を強調することでした。

Q: 第3次反精神医学運動に大きな影響を与えたのは誰ですか?


A:ミシェル・フーコーは、第3次反精神医学運動に大きな影響を与えました。

Q: ミシェル・フーコーの著書『狂気と狂気』とは何ですか?古典派時代の狂気の歴史』について教えてください。
A: ミシェル・フーコーの著書『狂気と狂気』(Madness and Insanity): 古典時代の狂気の歴史』は、狂気はどの時点から始まるのかという問いについて書かれています。

Q:「反精神医学」という言葉を最初に使ったのは誰ですか?


A: 1967年に南アフリカの精神科医であるデビッド・クーパーが、「反精神医学」という言葉を初めて使った人物です。

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