イクニエルド通り(Ryknild/Icknield Street)とは:英国ローマ街道の歴史と主要ルート
イクニエルド通り(Ryknild/Icknield Street)の起源と主要ルートを地図で解説。ローマ時代の歴史、バーミンガム・ダービーなど経由地や保存箇所も詳述。
Icknield Street (イクニエルド通り) または Ryknild Street (ライクニルド通り) は、グロスターシャー州のバートン・オン・ザ・ウォーターのフォッセ通り付近から南ヨークシャー州のテンプルボローまでをほぼ南西—北東方向に結ぶ、古代ローマ時代に敷設された主要街道の一つと考えられています。街道は古代の交通路として、また行政・軍事の目的で用いられ、現在の地名で言えばアルクスター、バーミンガム、リッチフィールド、ダービーを通るルートが推定されています。これらの区間では、ローマ期の路盤や集落跡、出土品が散発的に見つかっています。
名称と歴史的記録
中世の写本や年代記に基づくと、この道はさまざまな呼び名で記録されています。エドワード王の時代の律令類や中世史書では、ローマ期の四大道(ワトリング通り、エルマイン通り、フォッセ通り、ヒケニルド/ライクニルド通り)として挙げられています。Hikenild Street はしばしば英語の古形 Iceni(東部の部族名)と関連づけられて論じられ、アングロサクソン期の表記では Icenhilde Weg や Icenilde We といった形が見られます。
14世紀の編年史家ランルフ・ヒグドン(Ranulf Higdon)は、1344年の『Polychronicon』でこの道を Rikenild / Rikenyldes(トレヴィサ訳では Rikenildes)などの表記で紹介し、南西端をセント・デイヴィッド付近として、ウスター、ドロイトウィッチ、バーミンガム、リッチフィールド、ダービー、チェスターフィールドを経てタイン川河口に至ると記しています。中世以降も写本ごとに表記揺れがあり、Rigning、Reenald、Rignall などの形が伝わっています。
19世紀の地方史家ハーバーフィールドは、ライクニルド(Ryknild)という呼称を、オックスフォードシャーやバークシャーに見られるイクニエルド(Icknield)と区別して扱うべきだと論じました。今日では、古い南東部のトラックウェイである Icknield Way と混同しないように、ローマ街道系のものを Icknield / Ryknild Street と表記して区別することが一般的です。
ルートと主要地点
この街道の大まかなルートは次のように想定されています。
- 南西端は
(古い記録ではフォッセ通りとの接続点として) フォッセ通り付近、グロスターシャー州のバートン・オン・ザ・ウォーター周辺から始まる。 - 北東に向かい、アルクスターを経て中部イングランドへ進入する。
- そこからバーミンガムの周辺を通過し、さらに北東へ向かって リッチフィールド、ダービー、チェスターフィールドなどを経て、最終的に南ヨークシャーのテンプルボロー(テンプルボローはローマ期の交通・工業地としても知られる)へ至ると推定されています。
なお、ローマ道路網は地域ごとに分岐や迂回が生じやすく、現地の地形や集落の位置、後世の改変によりルートの細部は場所によって異なります。現代の道路や鉄道の経路が古代道路の一部を踏襲している例も多くあります。
建設技術と用途
ローマ街道は軍事的・行政的目的で整備され、一般的に以下のような特徴を持ちます(<Icknield/Ryknild Street>の具体例にも当てはまる部分が多い):
- 路盤(agger)を盛土で高くして排水を確保し、石や砂利で表面を固める「メッティング(metalling)」工法。
- 直線的に貫く区間と、地形に沿って迂回する区間が混在し、橋梁や横断施設が設けられることもある。
- 街道沿いには中継所(mutationes/ mansiones)や小規模な軍事拠点、集落が立地し、物流や治安維持に寄与した。
考古学的証拠と遺構
この街道に関連しては、路盤の痕跡、ローマ期の遺物、石造りや堆積構造の断面などが局所的に発見されています。地方の博物館や発掘調査報告には、沿線で出土したコイン、陶器、建築材などの資料が収蔵されています。こうした出土品は、街道の使用時期や通行量、沿道の生活や経済活動を復元する手がかりになります。
また、名前の混同や中世の写本における表記揺れがあるため、文献史料から正確なルートを再構築する作業も行われています。古地図や測量記録、地形解析(LiDARなど)を組み合わせることで、見えにくくなった路盤の痕跡が確認されることが増えています。
現代の保存と見学
現代でも街道の一部は道路や小道として使われているほか、保存状態の良い区間が残されています。たとえば、バーミンガムのサットン・パーク(Sutton Park)にはローマ街道の一部が保存されており、現地で路盤の痕跡や道筋を確認できます。ほかにも沿線各地の郷土史資料館や遺跡解説パネルで、Icknield / Ryknild Streetに関する情報が提供されています。
散策や自転車でのルート探索を行う際は、現地の指定されたトレイルや私有地の扱いに注意し、許可の必要な場所では地元当局や保存団体の指示に従ってください。
まとめ
Icknield / Ryknild Streetは、ローマ期における中部イングランドの重要な交通路であり、その正確なルートや名称については史料や考古学的証拠を照合しながら研究が続けられています。名称の多様性は史料伝承の複雑さを示す一方、現存する路盤や出土品は当時の交通・経済・軍事的ネットワークを理解するうえで貴重な手がかりです。現在も一部区間が保存・公開されており、歴史散策の対象として関心が持たれています。

サットンパークのイクニエルド通りの一部
質問と回答
Q:イクニールド・ストリート、ライクニールド・ストリートとは何ですか?
A: イクニールド・ストリートまたはライクニールド・ストリートは、グロスタシャーのバートン・オン・ザ・ウォーターのフォス・ウェイからサウスヨークシャーのテンプルボローまで続くイギリスのローマ街道である。アルセスター、バーミンガム、リッチフィールド、ダービーを通過します。
Q: エドワード懺悔王の掟に登場する4つのローマ街道とは何ですか?
A: 『エドワード懺悔王の法』に登場する4つのローマ街道は、Watling Street、Ermine Street、Fosse Way、Hikenild(またはIcknield)Streetです。
Q: Icknield Wayはどこからどこまで続いているのですか?
A: Icknield Wayは、ノーフォークからドーセットまで続いています。
Q: 12世紀、誰がRyknild Streetを名付けたのか?
A: 1344年に修道士Ranulf Higdonが書いた『Polychronicon』にRyknild Streetと書かれています。
Q: この道が現在も残っている証拠はあるのですか?
A: はい、バーミンガムのサットン・パークで、このローマ街道の一部を見ることができます。
Q: ハーヴァーフィールドは、Victoria County History of Warwickshire に寄稿する際、この道路についてどのように言及したのでしょうか?
A: 『Victoria County History of Warwickshire』に寄稿した際、ハーヴァーフィールドはこの道路を「ライクニルド」または「イクニルド」と呼んでいたが、「ライクニルド」の方が正しく、イクニルド道と分離できるため、好んで使っていた。
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