アイルランド自由国(1922–1937)とは 設立経緯と統治機構・憲法改定の概要

アイルランド自由国アイルランド語Saorstát Éireann)は、1922年から1937年まで用いられたアイルランドの正式名称である。設立は1921年の英愛条約(Anglo‑Irish Treaty)に基づき、1922年12月6日に施行された1922年憲法によって成立した。この自由国は、独立を主張したアイルランド共和国(1919年に成立を宣言したもの)と、英国による行政区分としての南アイルランド(Government of Ireland Act 1920に基づくもの)の両方に代わる存在として位置づけられた。

設立の経緯と主要な論点

英愛条約はアイルランドを英連邦内の自治王国(ドミニオン)として扱うことを定め、国家元首は英王(the King)であるが、独立した内部政府を認めるという折衷案だった。条約の主な内容は次の通りである:

  • アイルランド自由国の創設(ドミニオンとしての自治)
  • 国王の代表である総督(Governor‑General)の存在
  • 議会の主権を尊重するが、条約は優先される旨
  • 政府要員に対する王への忠誠と条約順守を確認する宣誓(Oath of Allegiance)

この条約は賛否を二分し、1922–23年にかけての内戦(自由国政府の支持派と反条約派の戦い)を引き起こした。内戦は自由国側の勝利で終わり、自由国体制が確立されたが、政治的対立は以後も国政を左右した。

統治機構の概要

アイルランド自由国の政府はExecutive Council(行政府)と呼ばれ、その長は首相ではなく President of the Executive Council(行政府大臣長)であった。立法府は総称してOireachtasと呼ばれ、下院はDáil Éireann(ドール)、上院はSeanad Éireann(シャナッド)が設置された。司法は独立して機能し、1922年憲法の下で基本的な法秩序が定められた。

総督(Governor‑General)は国王を代表する地位として置かれ、形式的には王の権能を行使した。初期には英本国政府との関係から総督の任命や職務に英国の影響が残ったが、次第に自由国政府の助言に基づいて機能するようになり、総督の実質的権限は縮小していった。なお、当時の国王は英国王と同一人物であったが、自由国政府は国内的には国王をアイルランドの国王として扱うという立場を取ることが増えた。

憲法改定と主権の拡大(1930年代)

1931年のStatute of Westminster(イギリス議会による法令)は、ドミニオンに対する英国議会の立法権を制限し、各自治領の立法的独立を確認した。これによりアイルランド自由国は自らの憲法と制度を国内法で改定する余地を得た。

1932年にエイモン・デ・ヴァレラ(Éamon de Valera)率いるフィアナ・フォイル政権が成立すると、条約に基づく英王との関係や条約上の義務を順次解消する一連の改革が進められた。具体的には、政府職員の誓約(Oath)の撤廃や、総督の職務縮小・廃止に向けた措置、経済面での関税政策変更などが行われた。1936年に英国王エドワード8世が退位すると同年、アイルランド側は国内における王の地位を事実上限定し、同時に外務関係に限定した王の「外的」役割を残す法律(External Relations Act 1936)を成立させた。

1937年憲法と国名の変更、その後

1937年12月29日、国民投票の結果を受けて新憲法(Bunreacht na hÉireann)が発効し、国家の名称はアイルランド語のÉire(英語表記はIreland)と定められた。これにより「アイルランド自由国」の時代は終わりを告げた。新憲法は大統領(Uachtarán na hÉireann)を設けるなど、国家機構の再編を行ったが、英王の外的役割については1936年の措置により当面存置されていたため、国際的な元首として王の名による外交行為が1949年まで行われる経過をたどった。

最終的にイギリスとの関係はさらに変化し、1948年に通過したRepublic of Ireland Actが翌1949年4月18日に発効して以降、アイルランドは公式に共和国を宣言し、王の役割は完全に終了した。この結果、アイルランドはコモンウェルスを離脱する形となった。

まとめ(意義と影響)

アイルランド自由国は、完全独立に至る過程での過渡的な国家形態であり、英愛条約を基盤とするドミニオン的制度と、共和主義的志向との間で揺れ動いた時代だった。1922年憲法の下で自治機構が整備され、1930年代の段階的改革と1937年憲法により現在のアイルランド国家の基本が形成された。

質問と回答

Q: アイルランド自由国とは何だったのですか?


A: アイルランド自由国は、1922年から1937年までのアイルランドの名称です。

Q: アイルランド自由国は何に取って代わられたのですか?


A: アイルランド自由国は、アイルランド共和国と南アイルランドの両方に取って代わりました。

Q:アイルランド自由国の政府のトップは誰ですか?


A: アイルランド自由国の政府は行政会議と呼ばれ、首相ではなく行政会議議長がトップでした。

Q: 1927年までアイルランド自由国を統治していたのは誰ですか?


A: 1927年まで、アイルランド自由国は、イギリス国王に代わって総督が統治していました。

Q: ロンドンとダブリンの政府間で起こった騒動の後、何が起こったのですか?


A: ロンドンとダブリンの両政府が対立した結果、総督は同じ人物であっても、イギリス国王ではなくアイルランド国王を代表していることが決定されました。

Q: 総督府の役割の変更は何を意味するのですか?


A: この変更は、国王と総督がアイルランドで何をすべきかについてアイルランド政府から助言を受けることを意味し、英国政府がアイルランドの事柄についていかなるコントロールもすることを止めました。

Q: 国名が「Éire」または「Ireland」に変更されたのはいつですか?


A: 1937年の憲法で、国名がアイルランド語のIrishに変更されました: Éire(エイル)、または英語: しかし、国王は1948年まで国家元首のままでした。

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