貞治(日本の元号、1362年–1368年)
貞治は、南北朝時代に京都の北朝で用いられた元号で、1362年から1368年まで続いた。後村上天皇の南朝と並存した。
概要
貞治(じょうじ)は、元号、すなわち正式な年号であり、南北朝時代に京都の北朝が採用した。1362年9月に始まり、1368年2月に終わった。当時の政治的分裂のもと、京都を占めていたのは天皇後光厳天皇であり、同時代の史料では一般に、京都を拠点とする北朝の君主として記されている。
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2 画像歴史的背景
南北朝時代(およそ1336年~1392年)には、京都の北朝と吉野の南朝という、対立する二つの皇統が存在した。貞治は、この主権が分立した時代のただ中に位置する。北朝が独自の元号を公布する一方、後村上天皇のもとにあった南朝も別の元号を用い、吉野から対抗する正統性の主張を維持した。このような元号の併用は年代の参照を複雑にし、史料間で日付を対応させる際には注意を要する。
特徴と継承
北朝の元号の順序では、貞治は康安の後に続き、応安に先行した。元号は通常、吉兆や大きな出来事、新天皇の即位または政治的な変化を契機として改められた。しかし南北朝の争いの時期には、こうした改元は対立する両朝が正統性を主張する努力も反映していた。貞治の大部分と同時期に南朝が用いた元号は正平であり、南朝が吉野で使用した。
主な事項と意義
- 期間:1362年9月から1368年2月まで(北朝の年紀による)。
- 京都における北朝の君主:後光厳天皇(足利氏の支援を受けた権力者に承認された)。
- 南朝の対抗者:吉野を拠点とし、別の元号を用いた後村上天皇。
- 北朝の元号の順序では、康安と応安の間に置かれる。
歴史家にとって貞治は、中世日本における政治権力の分裂が、並行する年代体系を生み出したことを示す例である。現代の学術的な校訂版や参考文献では、グレゴリオ暦への換算や異なる権力中心地の記録の比較に際して曖昧さを避けるため、通常は北朝・南朝双方の元号を記載する。両朝における詳細な年代表および同時代の出来事については、さらに読むための資料や一次史料の翻刻を参照できる。元号についての詳細と南北朝の対立を参照すれば、貞治のような元号が中世日本のより広い年代体系にどのように位置づけられるかを理解できる。
関連項目
著者
AlegsaOnline.com 貞治(日本の元号、1362年–1368年) Leandro Alegsa
URL: https://ja.alegsaonline.com/art/50959
出典
- books.google.com : "'Jōji','"
- books.google.com : "Go-Kōgon Tennō,"
- books.google.com : Annales des empereurs du japon, pp. 302-308
- books.google.com : "Go-Murakami Tennō,"
- books.google.com : p. 307.
- books.google.com : p. 308.