プロイセン国王

プロイセン王は、1702年から1772年までプロイセンの支配者が使用した称号である。

ブランデンベルク家の王子や侯爵であった支配者たちは、王になることを望んだが、神聖ローマ皇帝がその称号を許さないことを承知していた。

スペイン継承戦争への支援の見返りとして、皇帝レオポルド1世はフリードリッヒにプロイセン王を名乗ることを許した。プロイセン公国は帝国の外にあり、彼はあくまでも帝国の外で王とみなされたのである。

1772年、フリードリヒ2世はポーランドの大部分を併合し、プロイセン王を名乗ることにした。神聖ローマ皇帝の力はそれほど強くなく、1806年、帝国は消滅した。


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