亀茲(クチャ)とはシルクロードに栄えた新疆の古代仏教王国とその歴史
Kucha(ウイグル語:ك减减Lo_6C7-manserverچار、簡体字:龟兹、繁体字:龜茲、ピンイン:Qiūcí)は、新疆(東トルキスタン)の古代仏教王国であった。Qiūcí)は、新疆(東トルキスタン)の古代仏教王国でした。
シルクロードにあった
位置と地理
亀茲(現在の中国新疆ウイグル自治区クチャ/库车付近に相当)は、タリム盆地北縁のオアシス地帯に位置し、東西南北を結ぶ交易路の要衝でした。周囲は砂漠に囲まれ、灌漑による農業とオアシス都市としての機能を持っていたため、隊商や巡礼者の停泊地として重要でした。
歴史概観
亀茲は紀元前後から中世にかけて栄え、特に3〜8世紀頃に仏教文化と交易で繁栄しました。中央アジアやインド、そして中国との交流が盛んで、政権は独自の王族によって治められました。7世紀には唐や西突厥(西トルコ)など周辺大国との政治的関係の中で影響を受け、やがて唐の支配・保護下に入る時期もありました。その後、イスラーム化が進んだ中世後期には、文化的・宗教的な変容が起き、仏教の中心としての役割は徐々に衰えていきました。
仏教と芸術
亀茲はシルクロード上の重要な仏教伝播地であり、多数の石窟寺院や礼拝堂が造営されました。代表的な遺跡としてはキジル石窟(Kizil)、クムトゥラ(Kumtura)、スバシ(Subashi)などがあり、壁画や塑像が豊富に残されています。壁画の作風はインド、ガンダーラ、中央アジアの様式が融合した独特の表現を示し、色彩や構図、礼拝図像の伝統が高い芸術性を示しています。
言語・文献
亀茲ではトカラ語(特にトカラ語B、しばしば「クチェ語」と呼ばれる)をはじめ、サンスクリット、パーリ語、ソグド語、中国語、後にはウイグル語など多言語が使われました。遺跡からは写本や断片(経典、契約文、文学作品など)が多数出土しており、仏教経典の翻訳や教育・儀礼の記録、商業文書などが含まれます。これらの文献はシルクロード文化交流の実態を知る重要な一次資料です。
交易と社会
亀茲はシルクロードの交易拠点として、絹・香料・宝石・陶磁器などの商品が行き交う場所でした。また、商人や職人、僧侶、学者が集まる多文化共存の都市で、宗教行事や音楽・舞踊などの芸能も発達しました。古代中国の記録にも「胡人の音楽や舞踊が優れている」として、亀茲の楽師が紹介されることがあります。
考古学的発見と保存状況
19〜20世紀にかけて欧米や日本、中国の探検隊が多数の仏教遺跡や写本を発見しました。これらの発見は、亀茲の宗教・言語・芸術史の再構築に大きく貢献しましたが、一方で遺物の流出や風化、壁画の劣化といった保存上の問題も指摘されています。近年では保存修復や発掘調査が継続的に行われ、デジタル化や国際共同研究も進んでいます。
現代に残る遺産と意義
亀茲の遺産は、シルクロードを通じた文化交流の豊かさを示す重要な証拠です。言語学・宗教学・美術史・考古学など多分野での研究材料を提供し、古代ユーラシア世界の相互作用を理解するうえで不可欠な存在です。今日も遺跡や出土品は学術的・文化的価値が高く、国際的な関心が寄せられています。
参考・関連事項
- 主な石窟:キジル(Kizil)、クムトゥラ(Kumtura)、スバシ(Subashi)など
- 言語:トカラ語(トカラ語B=クチェ語)、サンスクリット、ソグド語、漢語など
- 現在の地名:クチャ(中国語で庫車/库车)付近
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中国・新疆ウイグル自治区、クチャはピンク、アクスは黄色