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ラテラノ条約(1929年)―バチカン市国の成立と政教条約

1929年のラテラノ条約は、バチカン市国を創設し、教皇庁とイタリアの関係を定めるとともに、教会と国家の間の財政的解決および政教条約を規定してローマ問題を解決した。

概要

1929年2月11日に調印されたラテラノ条約は、教皇庁とイタリア国家の間で長く続いていた紛争を解決した。この条約は、当時ベニート・ムッソリーニが統治していたイタリア王国の代表者と、教皇ピウス11世の教皇庁政府との間で締結された。協定は教皇庁の主権的領土を承認し、カトリック教会とイタリア国家の関係に新たな基礎を与えた。

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協定の主な要素

ラテラノ協定として知られる一連の協定は、相互に補完し合う3つの文書から成る。これらは合わせて、領土、法的地位、相互の義務を定めた。

  • 条約:教皇庁の権限下に置かれる独立した領域的実体として、バチカン市国の独立と主権を創設・承認した。
  • 政教条約:教会の公的生活における役割や一定の法的特権を含め、イタリアにおけるカトリック教会と民事制度の関係を規律した。
  • 財政条約:イタリア統一後に教皇庁が旧来の世俗的領土である教皇領を失ったことに対し、金銭による補償を定めた。

歴史的背景

この条約は、いわゆる「ローマ問題」を解決した。これは、イタリア統一の過程で1870年に教皇領が併合され、教皇の世俗支配が終わったことに端を発する外交的・政治的行き詰まりであった。数十年にわたり、教皇庁とイタリア政府は主権および教皇の地位をめぐって対立したが、1929年の協定は国際法の下で双方が承認する解決をもたらした。

影響と重要性

領域が明確に定められ、国際的に承認された国家を創設したことにより、ラテラノ条約は教皇庁を国際法上の主権主体とし、教皇が精神的・行政的権限を行使するための領域的自律性を与えた。政教条約の部分は、教育および家族法におけるカトリック教会の承認を含め、数十年にわたってイタリアの公的生活を形作り、20世紀後半の大幅な改定まで影響を及ぼした。

その後の展開と遺産

ラテラノ協定の一部は後年に修正され、とりわけ1984年の政教条約改定では、イタリアの市民生活における教会の法的地位が変更された。それでも1929年の取り決めは、教皇庁とイタリア共和国の関係にとって基礎的文書であり続けている。条約によって成立したバチカン市国は、面積・人口の両面で世界最小級の独立国の一つとして知られ、現在も多くの国と外交関係を維持している。

1929年2月11日に調印されたラテラノ条約は、イタリアにおける近代の政教関係の転換点であり、統一後のヨーロッパ秩序を決定づける一歩として広く評価されている。入門的な情報や追加の文献については、ムッソリーニとイタリア政治に関する資料、ならびにバチカン市国と教皇庁の国際的地位に関する資料(イタリアと教皇庁の関係)を参照。

関連項目

著者

AlegsaOnline.com ラテラノ条約(1929年)―バチカン市国の成立と政教条約

URL: https://ja.alegsaonline.com/art/56195

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