アーサー・ハウイー・"アート"・ロス(1886年1月13日 - 1964年8月5日)は、1905年から1954年にかけてアイスホッケー選手、審判、監督、ゼネラルマネージャー、発明家として活躍した人物です。生涯を通じてホッケーの技術と運営の両面で大きな影響を残しました。現役時代は主にディフェンスマンとして知られ、単にフォワードにパックを渡すだけでなく、自ら氷上を滑ってパックを運ぶプレースタイルを採用した先駆者の一人とされています。選手として13シーズンにわたりプレーし、1907年1月にはケノーラ・シスルズ(Kenora Thistles)で、1908年1月にはモントリオール・ワンダラーズでプレーしており、これらで合計2度のスタンレーカップを獲得しました。当時の選手の多くと同様にロスも複数のチームやリーグを渡り歩きましたが、特にワンダラーズ在籍時(後にリーグが発展してナショナルホッケー協会(NHA)→ナショナルホッケーリーグ(NHL)となる流れ)での活躍がよく知られています。1911年には報酬改善を求める選手たちのストライキを主導するなどプレイヤー・リーダーとしても行動しました。1918年1月、ワンダラーズのホームアリーナが全焼してチームが活動を停止したことを受けて、ロスは選手としての第一線を退きました。

選手引退後はしばらく現場の審判員を務め、その後ハミルトン・タイガースのヘッドコーチに1シーズン就任しました。1924年のボストン・ブルーインズ創設に際しては、チーム初代の監督兼ゼネラルマネージャーに迎えられ、以降ブルーインズの基礎作りに深く関わりました。ロスは1930年代から1940年代にかけて複数回にわたり監督職を務め、最終的には1954年にゼネラルマネージャーを退くまでチーム運営の中心を担いました。在任中、チームをリーグ首位に10回導き、通算で3度のスタンレーカップ優勝に貢献しました。そのうち少なくとも1回は監督としても優勝に導いています。ブルーインズ就任後は家族とともにボストン近郊に移り、1938年にアメリカ合衆国の市民権を取得しました。1964年にボストン近郊で亡くなりました。

ロスは選手・監督・GMとしての業績に加え、ホッケー用品やルール改善に関する多くの発明・改良でも知られます。特に今日でも使われる形に近いホッケーパックの改良や、ゴールネットを改良してシュートの判定を明確にするデザイン(その改良型は約40年間広く採用されました)など、実用的な改良を多数行いました。1947年には、自らの名を冠した賞をNHLに寄贈し、これがレギュラーシーズンの得点王に贈られるアート・ロス・トロフィーとして現在に至るまで続いています。1949年にはその功績が評価され、ホッケー殿堂(Hockey Hall of Fame)に顕彰されました。

功績と遺産

  • 選手としての革新:ディフェンスマンながらパックを持って攻撃参加するプレースタイルを確立し、ゲーム戦術の発展に寄与しました。
  • チーム編成と育成:ボストン・ブルーインズの基礎を築き、長年にわたり強豪チームを維持するための人材発掘や補強を行いました。
  • 用具・ルールの改良:パックやゴールネットといった用具の改良により、プレーの公平性・判定の明確化に貢献しました。
  • 賞の創設:アート・ロス・トロフィーの寄贈により、得点王という個人タイトルの制度化に影響を与えました。
  • 殿堂入り:1949年のホッケー殿堂入りは、選手・指導者・技術者としての複合的な功績を示しています。

アート・ロスはホッケーの歴史において「競技そのものを前進させた人物」の一人と評価され、現代ホッケーの多くの要素にその影響が残っています。彼の名前はトロフィーや記録を通じて現在でも語り継がれ、選手や経営者としての幅広い貢献が高く評価されています。