モントレー・ポップ・フェスティバル(1967)とは — ロックの時代を切り開いた歴史的音楽祭
1967年6月16日から18日まで開催された「モントレー国際ポップミュージックフェスティバル」は、カリフォルニア州モントレーで行われた三日間の野外音楽祭で、20万人以上が来場しました。当時の音楽シーンにおいて単なるイベント以上の意味を持ち、「ロックンロール」という言葉に替わってしばしば「ロックの時代」の始まりと評されます。フェスティバルはジャンルを横断する多様な出演者を集め、当時のカウンターカルチャーやサイケデリック・ムーブメントと深く結びつく文化的な象徴となりました。
開催の背景と運営
フェスティバルはジョン・フィリップス(The Mamas & the Papas)やルー・アドラーらの主導で企画され、インディペンデントな精神とアーティスト中心の構成を重視していました。屋外会場、野外ステージ、長時間にわたる演奏というフォーマットは、のちの大規模ロック・フェスのモデルとなりました。
主な出演者と印象的なパフォーマンス
出演者の顔ぶれは多岐にわたり、ロック、ブルース、R&B、フォーク、インド古典などが同じ舞台で披露されました。中でもフェスを機に一躍注目を浴びたアーティストが多数います。ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリンなどは、この出演を足がかりに国際的な人気を確立しました。一方で、出演予定だったがキャンセルされたビーチ・ボーイズなどのような一部の既存人気アーティストは「時代遅れ」と見なされる流れも生まれました。
- ジミ・ヘンドリックス — 圧倒的なギタープレイと象徴的なギター燃焼(burning his guitar)は伝説化し、彼の名声を不動のものにしました。
- ジャニス・ジョプリン(Big Brother and the Holding Company) — 迫力あるボーカルで多くの観客を虜にしました。
- オーティス・レディング — ソウル・ミュージックの代表格として白人中心のロック会場でも強い印象を残しました。
- ザ・フー — ライヴで機材を破壊するなどの激しいパフォーマンスで観客を圧倒しました。
- サイモン&ガーファンクル、ジェファーソン・エアプレイン、ラヴィ・シャンカールらも出演し、多様な音楽性が共存しました。
記録と映画化
フェスの模様はドキュメンタリー映画『Monterey Pop』(監督:D. A. Pennebaker、1968年公開)及び複数のライブ音源を通じて広く伝えられ、出演アーティストの知名度向上に大きく寄与しました。映画は臨場感ある映像で当日の熱狂と時代の空気を切り取り、後世に残る歴史的資料となっています。
影響と遺産
モントレー・ポップ・フェスティバルは、以降の大規模音楽イベント(例えば1969年のウッドストックなど)に大きな影響を与えました。以下が主な意義です。
- 野外ロック・フェスという形式の確立と商業化への道筋を作った。
- 黒人ソウル/R&Bアーティストと白人ロックの共演が一般化し、音楽ジャンル間の垣根を低くした。
- フェスを通じて新人アーティストが短期間に飛躍的に知名度を上げる「一夜の発見」のモデルを示した。
- 映像記録とレコードの流通により、会場外の世界にもその影響が拡大した。
まとめ
1967年のモントレー国際ポップミュージックフェスティバルは、ただの音楽イベントを超え、文化的・歴史的に重要な転換点となりました。当時の観客や映像を通じて伝わる熱狂は、その後のロック史やフェス文化に深い足跡を残しています。
プレイした人
6月16日(金)
- 協会
- ザ・ポーパース
- ルー・ラウルズ
- ビバリー
- ジョニー・リバーズ
- 動物たち
- サイモン&ガーファンクル
6月17日(土)
- 缶ヒート
- ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー
- カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ
- アル・クーペル
- ザ・バターフィールド・ブルース・バンド
- クイックシルバー・メッセンジャー・サービス
- スティーブ・ミラー・バンド
- エレクトリックフラッグ
- モビーグレープ
- ヒュー・マセケラ
- ザ・バーズ
- ローラ・ニーロ
- ジェファーソンエアプレーン
- ブッカーT&ザMG's
- オーティス・レディング
6月18日(日)
- ラヴィ・シャンカール
- ブルース・プロジェクト
- ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー
- 名前のないグループ
- バッファロー・スプリングフィールド
- スコット・マッケンジー
- ザ・フー
- ザ・グレイトフル・デッド
- ジミ・ヘンドリックス
- ザ・ママス&ザ・パパス