ニグロランド(ニグリシア・ニグリティア)とは:サハラ以南アフリカの歴史的呼称
ニグロランド、またはニグリシアは、ヨーロッパ人がアフリカのサハラ砂漠以南の地域を指した歴史的な呼称です。当時のヨーロッパ人の地理的理解は限られており、この地域について知っていることの多くは主に海岸沿いの情報に依拠していました。こうした呼び方は、アラビア語の「ビラッド・アル・スダン(黒人の国・土地)」を直訳・翻案したものと考えられています。
語源と呼称の変遷
「ニグロ(Negro)」や「Nigritia/Negroland」といった呼称は、ラテン語やロマンス語系の語根(niger=黒)や、アラビア語の影響を受けてヨーロッパ語で成立しました。16〜19世紀の地図や航海記で使われることが多く、ヨーロッパにおけるアフリカ認識の一側面を反映しています。こうした名称は地域を単純化して分類するもので、民族・文化・言語の多様性を無視する面がありました。
地図と誤解──河川の混同
当時の地図では、ヨーロッパ人は主要河川の流路や大地形について多くの誤解を抱いていました。地図上では、セネガル川、ガンビア川、ニジェール川などが同一の水系の枝分かれのように描かれ、一つの川が分岐して海へ注ぐと考えられることもありました。こうした誤認は、航海者や商人、地図製作者の情報不足や伝聞情報の混在に起因します。探検や測量が進むにつれて、次第に正確な流路や内陸部の地形が明らかになっていきました(例:18〜19世紀の探検家による内陸探査など)。
歴史的な使用例
1823年にアメリカで刊行されたフィールディング・ルーカス・ジュニアの地図には、ほぼ同じ地域が「ニグリティア」と記されており、その地の住民はニグロと呼ばれていました。当時の地図や記述は、貿易(特に奴隷貿易)や植民的関心と結びついて用いられることが多く、地理表記は政治・経済的文脈と無関係ではありません。
現代の扱いと注意点
現代では「ニグロランド」「ニグリシア」といった用語は、学術的には過去の歴史的資料の引用として扱われる一方で、人種的表現として差別的・侮蔑的と見なされることが多く、通常は用いられません。現在の一般的な表現としては、「サハラ以南アフリカ」や英語の「サブサハラ・アフリカ(Sub-Saharan Africa)」が使われます。歴史を記述する際には、当時の呼称が持つ意味とそれが示す偏見や文脈を明示することが重要です。
まとめると、「ニグロランド/ニグリシア」はヨーロッパ中心の古い地理観と、その時代の知識不足や政治経済的背景を反映した呼称であり、現代では用語の歴史的意義を理解した上で慎重に扱うべき表現です。


1736年の地図で、ネグローランドとギニアが描かれている。現在のギニアは別物