フロギストン説とは:燃焼理論の歴史・実験と酸素発見への道
フロギストン説の起源から決定的実験、酸素発見までをわかりやすく解説。燃焼理論の転換点と科学史の舞台裏を詳述。
18世紀半ばまで、多くの科学者は、物質にはフロギストンと呼ばれる可燃性の実体が含まれていると考えていました。物質が燃えると、その物質からフロギストンが逃げ出し、酸化した残りの部分は「カルクス(calx)」と呼ばれる固形の灰になると説明されたのです。この考えは、燃料を燃やした後に残る物質の性質や、当時観測されていた質量の変化を説明する枠組みとして広く受け入れられていました。特に、燃焼後に物体の質量が減少することは、「フロギストンが失われたからだ」と考えられました。
起源と主要な主張
フロギストン説の原型は17世紀から18世紀にかけて形成され、ヨハン・ヨアヒム・ベッヒャーやゲオルク・エルンスト・シュタールらが理論を発展させました。phlogiston(燃えるもの)という名前は可燃性の物質を示す概念で、燃焼や金属の「焼成(calcination)」、腐敗などを同じ原理で説明しようとしました。フロギストン説は、当時の化学知識の不足を補う有力な説明モデルであり、化学反応の因果関係を統一的に説明できる点が支持を受けた理由です。
入念な実験と反証の過程
気体の質量を測定する入念な実験により、フロギストン説が誤りであることが判明した。特に、金属を空気中で加熱してカルクスにするとき、金属の質量は減るどころか増えることがあり、この増加は金属が空気中の何かと結びついたためであることが示されました。ジョゼフ・プリーストリーが1774年に得た「脱フロギストン空気(dephlogisticated air、後の酸素)」の観察や、ヘンリー・キャヴェンディッシュ、アントワーヌ=ローラン・ラヴォアジエらによる質量を伴う系の厳密な測定は、従来のフロギストン的解釈と矛盾しました。
酸素の発見とラヴォアジエの理論
ラヴォアジエは、燃焼も金属の焼成も「物質が空気中のある成分(後に酸素と呼ばれるもの)と化合する過程」であると解釈しました。彼は実験で反応前後の質量を精密に測定し、物質が質量を増すのはフロギストンの放出ではなく、空気の一成分が取り込まれるためであると示しました。これによりフロギストン説は次第に置き換えられ、酸素と化学結合の概念が化学の中心的概念になっていきます。ラヴォアジエはまた、新しい化学命名法や質量保存の考え方を普及させ、近代化学の基礎を築きました。
なぜフロギストン説は長く支持されたか
理論が誤っていたにもかかわらず多くの科学者がフロギストン説を信じ続けた理由は複数あります。第一に、フロギストン説は燃焼や腐敗など複数の現象を一つの枠組みで説明でき、直感的だったこと。第二に、観察だけでは説明しきれない例(たとえば一部の反応で質量が増えること)を説明するために“フロギストンが負の質量を持つ”などの補助的な修正が行われ、理論の柔軟性が保たれたことです。さらに、当時は熱や光の本質も十分に理解されておらず、彼らは燃焼反応で放出される熱や光をフロギストンで説明できると考えたのだ。今日、私たちはこれを、エネルギーが周囲に伝達されている証拠だと考えています。
歴史的意義と教訓
フロギストン説の興亡は、科学における理論と実験の相互作用を示す好例です。誤った理論であっても、観測を整理し新たな実験を促す役割を果たすことがあり、逆に精密な実験が理論の改訂や新理論の確立を促します。フロギストン説が放棄され、酸素理論と質量保存の原則が採用されたことは、近代化学の出発点となり、化学をより定量的・体系的な学問へと変えました。
- 主要人物:ヨハン・ベッヒャー、ゲオルク・シュタール(フロギストン説の普及)、ジョゼフ・プリーストリー(脱フロギストン空気の発見)、アントワーヌ=ローラン・ラヴォアジエ(酸素理論の確立)
- 学んだこと:精密な質量測定の重要性、理論は実験によって検証・改訂されるべきであること
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