カジャール朝(Qajar、1781–1925)—近代イランを支配したテュルク系王朝

カジャール朝(Qajar、1781–1925):テュルク系王朝が近代イランを形成。政治改革と文化交流、列強との闘いと遺産を詳解。

著者: Leandro Alegsa

カージャール朝(Qajar (help-info), Persian: لسله قاجاریه - or دودمان قاجار - Qâjâr)は、1781年から1925年までイランを支配したテュルク系の王朝です。中央集権の回復と首都テヘランの整備、ヨーロッパ列強との不平等条約や領土喪失、そして国内の近代化運動と立憲運動(1905–1911年の立憲革命)を通じて、近代イランの基礎を形づくった時代とされています。

ソルタン・アフマド・シャー・カジャール(在位 1909–1925)は最後の統治者であるシャーでした。カジャール家の他の多くの重要な君主には、創始者のアーガー・モハンマド・ハーン・カジャール(在位 1789–1797)、領土拡大とロシア戦争の時代を担ったファトフ=アリー・シャー(在位 1797–1834)、長期にわたって統治し西洋文化の影響を受けたナーセロッディーン・シャー(在位 1848–1896)などがいます。19世紀から20世紀初頭にかけて、カージャール朝は列強(主にロシア帝国と大英帝国)による政治・経済的圧力と不平等条約に直面しました。

成立と主要な出来事

  • 成立:アーガー・モハンマド・ハーンがザンド朝の混乱を収束し、カージャール朝を確立。首都をテヘランに定め、中央権力を再構築しました。
  • ロシアとの戦争と領土喪失:19世紀初頭から中葉にかけての露伊戦争で、ガジャール朝はコーカサス地方の多くをロシアに失い、1813年のグリスタン条約、1828年のトルクメンチャーイ条約などにより領土と主権の一部を失いました。
  • 近代化の試み:ナーセロッディーン・シャー期を中心に、官僚制度や軍隊の近代化、鉄道や通信の導入など一部の近代化が行われましたが、改革は断片的で保守勢力や財政難に阻まれることが多かった。
  • タバコ事件と反英感情:1890年代、外国資本への特権的な独占権(タバコ特許)に対する全国的なボイコット運動が起こり、宗教指導者や商人の力を示しました。
  • 立憲革命(1905–1911):政治腐敗や外国の影響に対する不満から市民・商人・一部の知識層と宗教勢力が結び付き、1906年に立憲制と議会(マジレス)が成立しました。しかし政情不安は続き、立憲化の実効性は限定的でした。

政治と社会の特徴

  • 部族出身の王朝:カージャール家はもともとテュルク系遊牧部族に属し、王朝の支配構造には部族的ネットワークと王権による patronage が色濃く残りました。
  • 外圧と経済的従属:列強による鉄道・鉱山・特許権などの concession(権益付与)が多く、財政は慢性的に逼迫。これが国家の主権を弱める一因となりました。
  • 宗教と民衆:シーア派の宗教指導者(ウラマー)は政治的影響力を持ち、特にタバコ事件や立憲革命では重要な役割を果たしました。

文化・芸術

  • カージャール美術:宮廷絵画や肖像画の様式(華やかで写実的な肖像)、陶磁、工芸が発展しました。写真の導入も早く、王族や有力者の写真が残されています。
  • 文学と近代化:ペルシア語による近代文学の萌芽が見られ、西洋思想の流入とあいまって思想的・文化的変革が進みました。

衰退と滅亡

20世紀に入り、列強の介入、国内の政治的分裂、経済的困窮が続いた結果、1911年以降も政情は不安定でした。第一次世界大戦後、軍人であり政治家のレザー・ハーン(後のレザー・シャー・パフラヴィー)が1921年にクーデターを起こして実権を握り、1925年に国会の決議によりカージャール朝は廃され、パフラヴィー朝が成立しました。最後のシャーであるソルタン・アフマド・シャー・カジャールは退位・追放され、王朝は終焉を迎えました。

遺産

カージャール朝は、近代イランの国民国家形成の過程で重要な位置を占めます。領土の喪失や列強による経済的支配という困難を経験しつつも、行政・軍事・文化面での変化と、立憲主義や近代的な政治意識の芽生えを促しました。カージャール期の美術や文学、都市景観は今日もイラン文化の重要な一部として評価されています。

主な君主(抜粋):

  • アーガー・モハンマド・ハーン・カジャール(1789–1797)— 王朝の創始者
  • ファトフ=アリー・シャー(1797–1834)— ロシアとの戦争期
  • ナーセロッディーン・シャー(1848–1896)— 長期在位、近代化の端緒
  • モザッファルッディーン・シャー(1896–1907)— タバコ事件の時代
  • モハンマド・アリー・シャー(1907–1909)— 反立憲派として一時憲法を停止
  • ソルタン・アフマド・シャー・カジャール(1909–1925)— 最後のシャー

さらに詳しい学術的情報や一次史料を参照することで、カージャール朝の地域政治・外交・文化的側面についてより深く理解できます。



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