コム(Qom)—イランのシーア派聖地・教育拠点としての歴史
コム:イランのシーア派聖地と神学校の歴史を辿る。宗教的伝承と教育拠点としての発展と現代的影響を解説。
コムはイラン第2の宗教都市であり、シーア派の拠点の一つである。その歴史はイスラム教の勃興以前にさかのぼる。23/644-645年にイスラム教徒に征服されたが、85/704-705年のアシュアリユーンの移住により、コムの人々はイスラム教に改宗し、この時からコムがシーア派の都市として発展することになった。
ファーティマ・アル=マ・スマ(a)がコムに移住し、市内にイマームの祠が建てられ、その後、他のイマームの子孫やサイイドが移住し、コムはイランにおけるシーア派の拠点となった。また、コムの神学校が設立されたことも、同市のシーア派の名声を高めた。
今日、この都市はシーア派の知識を世界に広める最大の拠点となっている。
歴史の概略
古代〜中世:コムは古代からの定住地で、ササン朝期にも集落が確認されるなど長い歴史を持ちます。イスラム化は7世紀中葉のムスリム征服の時期に始まり、その後の世紀を通じて宗教的・学術的な拠点としての性格を強めていきました。
ファーティマ・アル=マスウマ(Fatimah al‑Ma'sumah)の影響:伝統的には、8〜9世紀にかけてファーティマ・アル=マスウマ(英語表記: Fatimah al‑Ma'sumah)の到来とその墓所の存在が、コムを巡礼地(ズィヤーラト)の重要地点にしたとされます。彼女の霊廟(マザール)は多くの信徒を引き付け、都市の宗教的威信を高めました。
神学校(ホーザ)と教育の中心地としての発展
ホーザ・イルミーヤ(イスラム神学校): コムはイラン国内外から学生と学者を集める主要な神学校(ホーザ)の所在地です。ここではシャリーア(イスラム法)、神学、倫理学、哲学、宗教法学などを学び、宗教指導者(ウラマー)を養成します。
近現代の発展:19〜20世紀にかけてコムの神学校は組織化・拡大し、20世紀中盤以降はボルージェルディ(Borujerdi)らの世代、さらにルーホッラー・ホメイニ(Ruhollah Khomeini)などの著名な学者・革命指導者と結びついて、宗教教育と政治的影響力の両面で重要性を増しました。1979年のイラン革命以降、コムの神学界は制度的にも政治的にも中心的な役割を果たしています。
巡礼と聖地としての役割
コムはファーティマ・アル=マスウマの霊廟を中心とする巡礼地であり、イラン国内はもちろん近隣諸国からも巡礼者が訪れます。霊廟は礼拝、学問、慈善活動の場として機能し、宗教行事や記念日には多くの参拝者で賑わいます。市内には他にも歴史的なモスクや霊廟、宗教的施設が点在します。
現代における影響と役割
- 宗教教育と国際ネットワーク:コムのホーザは国際的な学生を受け入れ、多数の言語で教義や書籍の出版を行っています。これによりシーア派の宗教思想が世界各地へと伝播しています。
- 宗教指導と法令(ファトワー):コムの学者たちは宗教的判断(ファトワー)や解釈を通じて、信徒の日常生活や倫理問題に影響を与えます。多くの高位ウラマーがここで学び、教えを広めています。
- 観光と経済:巡礼・宗教観光はコムの経済にとって重要な要素で、宿泊・土産物産業、サービス業が発展しています。
- 都市の位置:コムはテヘランの南約140kmに位置し、交通の要所としても機能しています。首都圏からのアクセスが良いため、宗教的・学術的交流が促進されています。
文化財と保存
霊廟建築や歴史的モスク、古文書などコムには保護・保存が求められる文化財が多数あります。近年は修復事業や博物館整備、史料のデジタル化などが進められ、学術研究と観光資源としての価値を高めています。
まとめ
コムは古代からの歴史を有し、ファーティマ・アル=マスウマの霊廟やホーザの存在を通じてシーア派の中心地となりました。現代では教育・宗教指導・巡礼・文化保存の面で国際的に重要な役割を果たしており、イランのみならず世界のシーア派共同体にとって欠かせない拠点です。
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