概要
ローデシアは、1960年代にイギリスからの独立を宣言した南部アフリカの自治政権が用いた名称で、1979年まで未承認国家として存続した。その領域は現在のジンバブエに相当し、その歴史はアフリカにおける脱植民地化と冷戦の広い文脈の中で展開した。
起源と名称
この地域は、もともとイギリス植民地の南ローデシアとして統治され、さらに以前にはイギリス帝国の利害の影響を受けた入植地として形成されていた。「ローデシア」という名称は、イギリス帝国主義者セシル・ローズにちなむものである。統治と土地制度には植民地支配の遺産が反映され、英領からの一方的な分離に至る以前、白人少数派の入植者共同体がイギリスの主権の下に置かれていた。
一方的独立宣言と政権
1965年、現地政府は多数派支配への急速な移行を阻止するため、一方的独立宣言(UDI)を発出した。指導者たちは少数派の政治支配を維持しようとしたのである。その後、1970年には共和国を宣言した。この宣言はイギリス政府にも国際社会の大半にも受け入れられず、制裁と国家機構への限定的な承認につながった。
武力紛争と交渉
1970年代のローデシアでは、多数派支配を求める民族主義運動との間で長期にわたるゲリラ戦が続いた。この紛争には、国内外での軍事行動、周辺諸国からの地域的圧力、そして戦闘終結を目指す外交努力が含まれた。最終的には、仲介された交渉によって、権限を多数派選出の指導者へ移譲する合意が成立した。
ジンバブエへの移行と遺産
交渉は、国際監視下の選挙と、未承認政権の終焉への道を開く合意に結実した。1980年には、国際的に承認された国家としてジンバブエが成立した。ローデシアの歴史は、脱植民地化、少数派支配、制裁、そして一方的な国家樹立の主張に伴う危険を論じるうえで、なお重要である。
特筆事項
- UDIは、植民地の入植者政権が国際的同意なしに独立を宣言した、まれな事例だった。
- 国際的孤立、経済制裁、そして武装闘争が、移行を形づくる主要な圧力となった。
- イギリスとの植民地関係の背景については、英国植民地史を参照。
ローデシアの制度、紛争、外交に関するさらなる読書資料や文書資料は、歴史資料集や脱植民地化・南部アフリカ政治に関する学術研究で入手できる(南ローデシア、ジンバブエ)。