シャンティ・バヒニ(Shanti Bahini)—バングラデシュ・チッタゴン丘陵の武装組織と和平

シャンティ・バヒニ — バングラデシュ・チッタゴン丘陵の武装組織の歴史、部族権利を巡る闘争と1997年の和平合意、その後の分裂と影響を解説。

著者: Leandro Alegsa

シャンティ・バヒニ(ベンガル語: শান্ি বািী、「平和部隊」)は、バングラデシュのチッタゴン丘陵地帯の先住民族の利益を代表する政治組織、統一人民党(Parbatya Chattagram Jana Sanghati Samiti、PCJSS)の武装部門の名称である。1972年に結成され、チッタゴン丘陵地帯(Chittagong Hill Tracts: CHT)における民族的自治と土地・生活権の保護を求めて長年にわたり中央政府と対立した。

結成の背景と目的

  • チッタゴン丘陵地帯は多様な先住民族(カマール、マルマ、トリプラなど)が居住する地域で、独自の慣習と土地制度を持つ。
  • パキスタンからの独立後、中央政府による行政・軍事的統制やベンガル系移住者の入植政策により、先住民の土地や文化が圧迫されたことが、武装闘争の背景にある。
  • シャンティ・バヒニは自治権の承認、土地の返還、文化・言語の保護を主要要求とし、武装闘争を通じてこれらを実現しようとした。

活動と紛争の経過

  • 1970〜1990年代にかけて、シャンティ・バヒニはゲリラ戦や待ち伏せ、インフラ狙撃などの武装活動を展開したとされる。組織の戦力は時期によって増減したが、最盛期には数千人規模の戦闘員を擁したとの推計がある。
  • 中央政府側は軍や警察による大規模な掃討作戦を実施し、両者の衝突は民間人の犠牲や大量の国内避難・難民流出を招いた。
  • 国際的な人権団体や研究者は、軍や民兵、武装組織双方による強制追放、強姦、拷問、私有地の押収などの人権侵害を指摘している。
  • シャンティ・バヒニは近隣国への避難・訓練拠点を持っていたとされる時期もあり、地域の安全保障問題とも絡んだ。

和平交渉と1997年和平協定

  • 紛争終結を目指し、中央政府とPCJSSとの間で断続的に交渉が行われた。最終的に1997年12月2日、両者は和平協定(Chittagong Hill Tracts Peace Accord)に調印した。
  • 協定の主な項目は、CHTの特別な自治制度の創設(地域評議会や地区評議会の設置)、土地問題の調査・解決、武装解除・戦闘員の社会復帰、軍隊の一部撤収といったものだった。
  • 協定に基づき、シャンティ・バヒニは武装解除を行い、多くの元戦闘員が武装放棄と社会復帰を選んだ。またPCJSSは合法的な政治活動へ移行した。

合意後の課題と現在の状況

  • 和平協定は紛争の大きな転換点であったが、その実施は部分的にとどまり、土地返還や入植者問題、行政の権限配分などについて未解決の課題が残った。
  • 協定に反対する一部のメンバーや分派は武装闘争を続けたり、別組織を結成したりしたため、局所的な暴力や緊張はその後もしばしば発生した。
  • 現在でもCHT地域では先住民族の権利回復、土地紛争の恒久的解決、和平協定の完全実施を求める声が続いており、地域の再建・和解・開発が継続課題となっている。

評価と歴史的意義

  • シャンティ・バヒニとPCJSSの活動は、バングラデシュにおける民族自決と少数民族の権利問題を国際的にも浮き彫りにし、中央集権的政策の見直しを促した。
  • 1997年の和平協定は、紛争解決の重要な枠組みを提示した一方で、合意の履行と恒久和平の実現には政治的意思と時間が必要であることも明らかにした。
  • 当事者間の信頼回復、土地権利の公正な処理、被害者の救済といった課題は今なお継続しており、外部機関や政府、市民社会の関与が不可欠である。

参考:シャンティ・バヒニという名称は「平和部隊」を意味するが、その歴史は暴力と和平交渉を通じて地域の政治構造に変化をもたらした複雑なものであり、現在もCHT地域の社会・政治情勢を理解する上で重要な要素である。



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