誓約とは、1789年6月20日、ヴェルサイユ宮殿近くのテニスコートで、フランス第三領地577人のうち576人と第一領地数人が署名した誓約書のことである。当時のフランスにおける政治的転換点であり、まもなく成立する「国民議会」への重要な一歩となった。

背景

1789年、財政危機と社会的不満を受けて召集されたエステートジェネラル(三部会)では、議決方式を巡って激しい対立があった。伝統的には投票は各階級(聖職者・貴族・中産階級)ごとに一票ずつ行われ、これにより聖職者や貴族が王政側の意向を反映させやすかった。第三エステート(庶民側)は、代表者数が多いにもかかわらず実際の影響力が制限されるこの慣行に反発し、「票は階級別ではなく、一人一票(つまり投票“によって”)」で決すべきだと主張した。

当日の出来事(6月20日)

会期中、第三エステートの議場が何らかの理由で閉鎖されていることが分かり、代表者たちは会場を失ったと受け取った。そのため、近くにあった屋内テニスコート(Jeu de Paume)に移動して集会を開いた。そこで彼らは、もはや階級別の扱いを受け入れず、国の憲法が確立されるまで集団として行動し続けることを誓った。

誓約の内容と署名

誓約は、議会の代表者らが「われわれは解散せず、われわれが必要と判断する場所で再会し、王国の憲法が確立され、堅固な基盤の上に固められるまで決して離散しない」といった趣旨の約束を文書化したものである(日本語訳の一例:「われらは解散せず、必要な場所で再会し、王国の憲法が確立されるまで集合をやめない」)。第三エステートのうち577人のうち576人が署名し、さらに数名の第一階級(聖職者)もこれに加わった。

意義とその後

  • この行為は、中央集権的な王権に対する明確な政治的反抗であり、以後の革命的動きに道を開いた。
  • 誓約は第三エステートの結束を象徴し、同年6月17日に既に自らを「国民議会」と宣言していた流れを決定的なものにした。6月27日頃には国王も聖職者・貴族に第三エステートへ参加するよう命じ、事実上の議体統一が進んだ。
  • 以後、7月14日のバスティーユ襲撃や、同年8月の人権宣言採択など一連の出来事へと繋がり、フランス革命の主要な転換点として歴史に刻まれることになる。

記憶と文化的意義

テニスコートの誓いはフランス革命史における象徴的事件として美術や教育で頻繁に取り上げられている。たとえばジャック=ルイ・ダヴィッドらによる絵画作品や、ヴェルサイユの現地史跡での展示を通じて広く知られている。近代においては「人民主権」や「憲法制定の正当性」を示す歴史的先例として引用されることが多い。