1905年4月28日、アメリカの天文学者ウィリアム・H・ピッカリングは、土星の10番目の月を発見したと発表した。ピッカリングはその月を「テミス」と名付けた。しかし、ピッカリング以外にその天体を確認した観測はなく、後続の観測でも再検出されなかったため、天文学界ではテミスは公式な衛星とは見なされていない。今日では「幻の衛星(phantom moon)」の一例として扱われることが多い。
ピッカリングはテミスの観測記録から軌道要素を推定し、テミスの軌道は黄道に対して傾斜角39.1°、偏心率0.23、半長軸距離約147.7万kmであると考えた。これはテミスがタイタンやハイペリオンのような軌道を持つ中・外縁付近の衛星であり、土星を一周するのに約20.85日かかるという値に対応する。
ピッカリングはまたテミスの光度から直径を試算し、直径を約38マイル(61km)とした。ピッカリングは以前にフェーベ(フェービー)という月も発見しており、当時フェーベの直径を42マイル(68km)と見積もっていたが、現代の精密な観測ではこれは実際より小さすぎることがわかっている。観測当時の計算では天体の反射率(アルベド)や光度測定の不確かさを十分に考慮できない場合が多く、これがサイズ推定の大きな誤差につながることがある。したがって、もしテミスが実在したとしても、ピッカリングの推定よりかなり大きかった可能性があると指摘されている。
なぜピッカリング以外に確認されなかったのかについては諸説ある。考えられる原因には、観測写真の欠陥や偶然の背景星・小惑星の誤認、あるいは一時的な散在光学現象などが含まれる。いずれにせよ、単独の観測に基づく発見主張は再現性がなければ受け入れられにくく、当時の機材や観測条件の限界も誤認の一因とされる。
テミスのような事例はこれ以前にもあった。1861年4月、ヘルマン・ゴールドシュミットもまたタイタンとハイペリオンの間に土星の新しい衛星を発見したと考え、その月をカイロンと呼んだ。ゴールドシュミットが報告した「カイロン」も後に再検出されず、存在は否定されたが、この名前はずっと後になって小惑星(および彗星的性質を示す天体)2060年のキロン(Chiron)に転用された。
ピッカリングは自身の土星衛星に関する観測で一定の業績を上げ、1906年には「土星の第九衛星と第十衛星の発見」でフランス科学アカデミーのラランド賞を受賞した。しかし、後の検証でテミスは確認されなかったため、その受賞内容は現代の評価では注意を要する歴史的事実となっている。
実際のところ、土星の発見順で10番目に挙げられる衛星は、1966年に発見され、後に1980年ごろに確認されたヤヌス座で、ヤヌス(Janus)などの天体であり、その軌道はピッカリングが報告したテミスの軌道とは大きく異なる。
なお、「24 テミス」という名前の小惑星も存在するが、これは土星の衛星テミスとは別の天体である。
まとめ:ピッカリングによる「テミス」の報告は当時の観測史における興味深い事例であり、後続の観測で再検出されなかったため「幻の衛星」として扱われている。こうした事例は観測データの再現性と複数独立観測の重要性を示す教訓ともなっている。