ウィッグ党(Whigs)とは — 英国の立憲主義勢力と歴史(1680年代〜1850年代)
ウィッグ党(Whigs)の起源・立憲主義・栄光の革命での役割、トーリーとの対立と19世紀自由党への影響を詳説。1680〜1850年代の政治史をわかりやすく解説。
Whigs(ウィッグ党)は、イングランド、スコットランド、グレートブリテン、アイルランド、イギリスの議会における政治グループとして始まり、やがて近代的な政党へと発展した。1680年代から1850年代にかけて、ウィッグ党はライバルであるトーリーと激しく権力を争った。政党としての性格は時期により変化し、初期には立憲君主制と議会主権を守る立場をとり、19世紀には選挙改革や自由貿易、宗教的寛容を掲げる方向へと移行していった。
起源と名称
「ウィッグ(Whig)」の語はもともと蔑称として使われた語に由来するとされ、17世紀の政治的対立のなかで反対派を指す呼び名として定着した。ウィッグ派は、立憲君主制の擁護者であり、王権の絶対化や絶対王政化に反対した。彼らは1688年の「栄光の革命」において重要な役割を果たし、その結果として成立した1689年の権利章典(Bill of Rights)や1701年の王位継承法(Act of Settlement)など、議会優位を確立する法制度の基盤づくりに貢献した。
主要な理念と政策
- 議会主権と法の支配:王権の恣意的行使に対するチェックとして議会の権限を強調した。
- 宗教問題:初期はカトリックに対する強い警戒心があり、スチュアート家のカトリック支持や王位継承に反対したが、次第にプロテスタントの異端派(ディッセンター)や諸宗派への寛容を主張する傾向も強まった。
- 経済・利害関係:商業・金融・都市の利益を代表する勢力と結びつきやすく、自由貿易や商業発展を支持する立場が多かった。
- 改革志向:18〜19世紀を通じて選挙制度の近代化や政治的自由の拡大を支持し、最終的には1832年の選挙改革(Reform Act)などに影響を与えた。
政治的役割と年代記
ウィッグ党は1688年以降の政局で中心的な役割を担った。18世紀前半にはいわゆる「ウィッグ・ジャントゥ(Whig Junto)」と呼ばれる有力な指導層が形成され、1714年のハノーヴァー朝成立以降は長期的な政権支配を確立した。特にロバート・ウォルポール(Robert Walpole)は1721年から1742年まで事実上の初代首相(長期政権)としてウィッグ支配の象徴となった。
ウィッグ支配は、国王ジョージ1世・ジョージ2世の治世下でほぼ確立され、1715年および1745年のヤコバイト反乱(ジャコバイト蜂起)への対処でも重要な役割を果たした。これにより王党派(ジャコバイト)やカトリック復権の動きを抑え、議会中心の体制が維持された。
しかし18世紀後半から19世紀にかけて、党内にさまざまな派閥が生まれ、政策の一致が難しくなった。19世紀前半にはチャールズ・ジェームズ・フォックスやホイッグ系の閣僚たち、さらにはチャールズ・グレイ(第2代グレイ伯、1830年代の改革派)らが登場し、1832年の改革法成立などの重要な政治成果を挙げた。
主要人物
- ジョン・ソマーズ(John Somers)など初期の理論家・指導者
- ロバート・ウォルポール(Robert Walpole) — 長期政権を維持した初期の事実上の首相
- チャールズ・ジェームズ・フォックス(Charles James Fox) — 野党の指導者として影響力を持った
- チャールズ・グレイ(第2代グレイ伯、Earl Grey) — 1832年の選挙改革を指導
- 後期にはロード・ジョン・ラッセル(Lord John Russell)やウィリアム・グラッドストンに繋がる系譜
分裂と再編
ウィッグ党内部は一枚岩ではなく、保守的な貴族的ウィッグ(Old Whigs)と、より改革志向の派閥(Rockingham派、Fox派など)に分かれていた。18世紀末から19世紀にかけては、トーリー側の改革派(ピール派)や急進的なラジカル勢力、自由主義的な議会勢力と接近したことで、党の性格が変化した。最終的に19世紀中葉までにウィッグ思想を受け継いだ勢力は、自由党(Liberal Party)へと統合されていった。19世紀後半には多くのウィッグ系政治家が自由党の中核を成した。
遺産と評価
ウィッグ党の最も重要な遺産は、近代イギリスにおける議会主義と法的制約の定着である。権利章典や王位継承法など、議会の優位を確保する制度的枠組みに大きく寄与したこと、そして19世紀の選挙改革や宗教的寛容、経済自由化へつながる思想を培ったことが評価されている。
また、ウィッグという名前と立場は、イギリス以外でも「ホイッグ」的自由主義を表す用語として影響を与え、アメリカのホイッグ党などにも思想的な影響を及ぼした。総じてウィッグ党は、王権抑制・議会主導の政治体制の確立と、その後の自由主義的改革へとつながる重要な政治勢力であった。
以上がウィッグ党(Whigs)の概観である。彼らの歴史は、17世紀末から19世紀中頃にかけてのイギリス政治の変容を理解するうえで欠かせない要素である。
質問と回答
Q: ホイッグスとは誰ですか?
A: ホイッグスはイングランド、スコットランド、グレートブリテン、アイルランド、イギリスの議会における政治団体であり、その後政党となりました。
Q: ホイッグスのライバルは?
A: ホイッグスのライバルはトーリーです。
Q: ホイッグスの起源は?
A: ホイッグスの起源は立憲君主制と絶対君主制への反対です。
Q: ホイッグスが大きな役割を果たした重要な出来事は?
A: ホイッグスは1688年の栄光革命で大きな役割を果たしました。
Q: ホイッグスの敵は誰ですか?
A: ホイッグスの敵は、ローマ・カトリックのスチュアート王と僭称者たちでした。
Q: ホイッグスが政権を完全に掌握したのはいつですか?
A: ホイッグスは1715年に政府を完全に掌握し、1760年にジョージ3世が即位するまで、完全に支配的でした。
Q: 19世紀後半にホイッグの思想の多くを取り入れた政党は?
A: ウィッグの思想の多くは、19世紀後半に自由党によって採用されました。
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