徐才厚徐才厚;ピンイン: Xú Cáihòu;1943年6月 – 2015年3月15日)は、中国人民解放軍(PLA)と中国共産党(CCP)の上級軍事将校・政治指導者であり、両組織の最高層へと上り詰めた人物である。軍の階級と党職を兼ね、制度変化が進む時期の中国において中央の意思決定機関の一員を務めた。

経歴と主要役職

徐はキャリアの大半を人民解放軍と党の軍事 प्रशासन部門で過ごした。数十年にわたり、指揮官職や人事関連の職務を経て最高指導部に到達した。主な役職には、中国共産党の政治局(政治局)のメンバー、中国人民解放軍における上将への昇進、中央軍事委員会(CMC)副主席への任命が含まれる。2004年9月には、胡錦濤が委員会主席に就任したのに伴い、副主席の一人として後任に入った。この移行は一般に胡錦濤の名と結びつけて語られる。

徐才厚が務めた主要な役職は次のとおりである。

  • 人民解放軍の各部隊における上級指揮および政治工作。
  • 中国共産党政治局のメンバーとして、国家指導部の協議に参加。
  • 中央軍事委員会副主席として、軍事および人事決定の中枢を担う役職。

役割と責任

CMC副主席かつ政治局員として、徐は軍の人事や組織運営に影響力を持っていた。これらの役職は党の権威と軍の指揮を結び付けるものであり、中国共産党が軍を統制するという原則を反映している。こうした地位の保持者は、通常、戦略立案、人事昇進、軍近代化の監督、党と国防機関の調整などに関わる。

調査、除名、健康状態

2013年の退任後、徐は中国共産党の規律検査当局による正式な調査対象となった。2014年には、腐敗などの不正行為を指す中国当局の用語である「重大な規律違反」で非難され、2014年6月に党を除名された。さらに、膀胱がんと診断され、北京で治療を受けたと報じられた。軍法会議が最終判断に至る前に、徐の手続きは健康状態の悪化によって先送りされた。

死去とその後

徐才厚は2015年3月15日、71歳で、膀胱がんと多臓器不全と説明された合併症により死去した。彼の事件は、軍と党の上級人物を対象としたより広範な反腐敗運動の、初期における最も注目された例の一つとなった。この調査と公的な扱いは、中国の政治・軍事システムにおける執行の力学の変化を示し、規律措置が高位の官僚にも及び得ることを示した。

遺産と意義

徐の経歴は、中華人民共和国における軍事指導と党指導の二重性を示している。高級将校はしばしば重なり合う政治的責任を担う。彼の失脚は、批判者が縁故主義や汚職を助長しうると指摘する昇進・人事制度の脆弱性を浮き彫りにした。同時に、この事件は軍のガバナンスと人事管理における透明性向上と制度改革を求める声にもつながった。研究者や分析家は、徐の事例を、党規律の強化と現代中国における文民—軍関係の再構築を目指す、より広範な取り組みの一部とみなしている。